源平合戦で若くして討ち死にした北条時政の子は?

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鎌倉幕府初代執権の北条時政の息子で、源平合戦の一つ、治承4(1180)年の「石橋山の戦い」で若くして討ち死にしてしまったのは、次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 65 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「北条宗時(むねとき)」

  回答内訳

250人 が回答済です

北条宗時(むねとき)(163回答)
65%
北条義時(よしとき)(32回答)
12%
北条時房(ときふさ)(20回答)
8%
北条政範(まさのり)(35回答)
14%

※未回答での閲覧回数は 18回

 解説

源平合戦において、北条宗時は源頼朝の挙兵に参加しましたが、石橋山で頼朝は平家軍に大敗。宗時は逃亡する途中に、父・時政を逃がそうとして平家軍と戦い、討ち死にしたと伝えられています。

ちなみに義時は宗時の弟で鎌倉幕府第二代執権、時房も宗時の異母弟で鎌倉幕府の初代連署で、彼ら二人は源平の争乱を生き残っています。

政範も宗時の異母弟で、10代で亡くなっていますが、京都にて病気で亡くなっていて討ち死にではありません。


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