悪女と伝わる徳川家康の正室って誰?

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後世に「悪女」として語り継がれ、敵の武田信玄と通じていたことで処刑されたという、徳川家康の正室は、次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 79 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「築山殿(つきやまどの)」

  回答内訳

471人 が回答済です

築山殿(つきやまどの)(374回答)
79%
阿茶局(あちゃのつぼね)(47回答)
9%
朝日姫(あさひひめ)(40回答)
8%
西郷局(さいごうのつぼね)(10回答)
2%

※未回答での閲覧回数は 66回

 解説

築山殿は今川義元の姪にあたり、義元の意向もあって、当時今川家の人質だった家康と政略結婚をしています。

家康は1560年の桶狭間の戦いの後、本拠地である岡崎城に戻ると、今川と敵対関係にあった織田信長と同盟を結んで独立。やがて今川家の人間だった築山殿も岡崎城に送られます。

しかし、彼女が岡崎城に入ることは叶わず、「築山」という場所に館を与えられて幽閉同然の生活を強いられたようです。背景には家康の母・於大の方の存在があり、於大は今川家を恨んでいたとか。

こうした夫との別居のほか、その後も、父の死や、我が子の松平信康が結婚するなど、築山殿にとっての苦痛が続いたようです。

信康を溺愛していた築山殿は嫁の徳姫と不仲になり、やがて敵である武田勝頼に通じて陰謀を企てます。 これが原因で処刑されたといい、後世の史料においては「悪女」として酷評されています。


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