家康が政権を永続化させるためにとった政策について

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徳川家康が関ケ原の戦いの後に、徳川幕府を永続させるためにとった方策で、次のうち、あてはまらないものはどれでしょうか。 ( 正解率は 32 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「全国の諸大名に江戸と国元を一年おきに往復させる参勤交代を強制した。」

  回答内訳

250人 が回答済です

慶長8年(1603)、家康は将軍の宣下を受けたあと、わずか2年で子の秀忠に譲り、将軍職は徳川家の世襲であることを示した。(89回答)
35%
関ケ原の戦いに功があったので豊臣恩顧の大名は、大きな領土を与えることで報いたが、できるだけ遠国に配置した。(38回答)
15%
諸大名に命じて国絵図(領国の地図)、郷帳(領内の村々の石高を詳細に記した記録)の提出を命じた。(42回答)
16%
全国の諸大名に江戸と国元を一年おきに往復させる参勤交代を強制した。(81回答)
32%

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 解説

将軍職は武家の棟梁であることを名実ともに示すもので、まぎれもなく家康が諸大名の上位に立つことがはっきりしました。そして、それの地位を早々に譲りましたが、それは世襲の地位であることを宣言するものでした。関ケ原の戦いは豊臣家臣団の分裂抗争という側面もあったので、豊臣恩顧の大名が多数生き残っていましたので、彼らに対する警戒を怠りませんでした。 国絵図・郷帳の提出は家康が上位権力であることを知らしめるものでした。参勤交代は3代将軍家光の時代に制度化されたものですので、家康のとった政策には当てはまらないことになります。


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