後白河院に仕えた平知康は何の名手だった?

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北面の武士として後白河院に仕えた平知康(たいら の ともやす)。彼は何の名手といわれているのでしょうか?

( 正解率は 25 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「鼓(つづみ)」

  回答内訳

266人 が回答済です

将棋(18回答)
6%
鼓(つづみ)(68回答)
25%
蹴鞠(けまり)(134回答)
50%
弓(46回答)
17%

※未回答での閲覧回数は 13回

 解説

正解は「鼓」です。蹴鞠もできたそうですが、鼓は特に上手だったそうです。

彼は鼓の名人で「鼓判官」とも呼ばれました。『平家物語』では、木曽義仲の乱暴を諫めようとしたところ「鼓判官というくらいだから多くの人に叩かれたのか?」と馬鹿にされ、頭に来た知康は兵を集めて義仲に対抗姿勢を示しました。もちろん義仲に攻められ、知康は朝廷の職を解雇されます。

しかしその後も生き延びて、鎌倉時代は源頼家の蹴鞠相手になったそうです。

※参考
  • 『平家物語』(日本古典文学全集、小学館、1975年)


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