豊後の戦国大名・大友宗麟は、キリスト教に傾倒したキリシタン大名でした。その宗麟が、キリシタン王国建国を目指して侵攻した国はどこでしょうか?
( 正解率は 51 % )正解!
ざんねん…
答えは「日向国(現在の宮崎県)」
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大友宗麟は、豊後を中心に一時は九州一の支配地域を誇った戦国大名です。早くからキリスト教に興味を抱いた宗麟は、一時博多港を支配下に置き、南蛮貿易で鉄砲や大砲を購入するなど経済力や軍事力を増していきました。やがて宗麟はキリスト教に傾倒し、息子とともに洗礼を受け、ドン・フランシスコという名前を与えられます。一方で、領内の寺社を破壊するなど従来の宗教勢力に迫害を加えて領民や家臣の反感を買うなど不穏な空気が漂い始めます。
そんな中で、日向国にキリシタン国を作ることを考え、多くの家臣の反対を振り切り、宗麟自らの指揮で日向侵攻を開始します。これに危機感を感じた島津家は、大友宗麟との戦いを決意します。やがて大友宗麟は、島津家と戦った耳川の合戦に大敗しました。その後、大友家臣団からは離反者が相次ぎ、大友家は衰退の一途を辿っていくことになるのです。
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