正解!
ざんねん…
答えは「明治新政府の成立に貢献した人」
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西郷隆盛は、江戸時代の幕末から明治時代初期にかけての志士・政治家で、幕末には政治的・軍事的指導者として約270年続いた徳川幕府を倒し、明治政府では廃藩置県などの政策実行に奔走した人物です。
西郷は、文政10年(1827)に薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士の家に生まれました。幼なじみには、ともに初期の明治政府を支えた大久保利通がいます。
青年時代は、下級武士の若者たちのリーダー「二才頭(にせがしら)」として、厚い人望を得ており、藩主の島津斉彬が「お側仕え」に抜擢するほどでした。若き西郷は、幕政改革を目指す斉彬の手足となって働きました。斉彬の死後は、二度も「島流し」にされる不遇な時代を過ごしますが、薩摩藩が幕末の動乱期を乗り切るためには、西郷の力を必要としていました。復帰した西郷は、薩摩藩の政治や軍事の中核を担い、幕府を倒すことに全力を傾けます。
慶応4・明治元年(1868)、薩摩藩や長州藩など新政府軍と、徳川慶喜率いる旧幕府軍の間で戊辰戦争が始まります。西郷は新政府軍を率いて東へと攻めのぼり、江戸城総攻撃と慶喜討伐を目指します。 総攻撃を目前に控え、西郷は旧幕府側の勝海舟と会談します。西郷は勝の申し出を聞いて総攻撃を中止し、慶喜の助命嘆願も受け入れました。相手の立場を理解し、決断を変えられる柔軟な考え方を西郷は持っていたのです。
明治になって新政府がスタートし、西郷も政府の一員に加わります。岩倉具視ら政府要人が欧米を歴訪する間は、留守政府の中心人物として廃藩置県、徴兵令、地租改正といった大改革を主導しました。
明治6年(1873)に、朝鮮半島への出兵を巡る「征韓論」論争が起き、推進派の西郷と反対派の大久保、岩倉が激しく対立します。その結果、反対派が勝利し、敗れた西郷は故郷の鹿児島へ帰ってしまいました。
鹿児島には、西郷を慕う不平士族が続々と集結し、政府との衝突は避けられなくなります。ついに明治10年(1877)、西郷らは挙兵し、西南戦争が勃発。激戦の末、西郷軍は敗れ去り、矢折れ力尽きた西郷は潔く自決したのです。
西郷隆盛といえば、太い眉毛とギョロリとした目、ふくよかな顔つきの肖像画が有名ですが、本人の写真は一枚もありません。肖像画は、弟の西郷従道やいとこの大山巌の写真からイタリア人画家キヨソーネが描いたものです。
西郷が写真を残さなかった理由は定かでなく、「写真が嫌いだからだった」「写真を撮れないほど忙しかった」「暗殺を恐れて撮らなかった」など諸説さまざまあります。もし西郷の写真が見つかれば、世紀の大発見になるでしょう。
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