恐山…あの世とこの世が出会う場所

 恐山(おそれざん)。そのものズバリの命名ですが、この山は比叡山・高野山と並び、日本三大霊山とされ、立山・白山と並んで日本三大霊場に数えられます。

癒しと地獄が向き合って

 下北半島(青森県)のほぼ中央にそびえる海抜878mの火山釜臥山をはじめとする屏風山など、いくつかの山々、周囲10kmほどの円形のカルデラ地形、カルデラ内にある直径2kmほどの宇曽利湖、これらを総称して恐山と呼んでいます。ここは死者の霊魂が集まるところであり、この世の人間が死者の魂と交われる場所です。

恐山菩提寺の境内全景。後ろの山は地蔵山(左)と剣山(右)(出典:wikipedia)
恐山菩提寺の境内全景。後ろの山は地蔵山(左)と剣山(右)(出典:wikipedia)

 恐山には曹洞宗吉祥山円通寺を本坊とする、恐山菩提寺の地蔵殿があります。その地蔵殿に向かって左手西側には、硫黄を噴き出す賽の河原を中心に砂礫の原や池があり、「百三十六地獄」と呼ばれる荒涼とした風景が広がり、無数の石仏や地蔵が祀られています。

地蔵殿の西側
地蔵殿の西側

 これらの地獄には「なまこの地獄」「箸塚修験道」「かねほり地獄」などの名前がついており、カルデラ内部の硫黄は近世以来、採掘されてもいました。

恐山の位置。拡大すれば各地点の詳細位置もわかります。

 また、地蔵殿の右手東側には薬師堂が建ち、病気平癒の霊験あらたかな恐山の温泉が湧く癒しの霊場です。

土俗的民間信仰に支えられた恐山

 日本三大霊山に数えられる恐山ですが、正当派仏教を守り、教義を極め学ぶ比叡山・高野山と違い、土俗的民間信仰によって支えられてきました。

 恐山の民間信仰は“地蔵講”として組織されており、下北一円に分布する地蔵講は高齢女性を中心とした集まりのため、通称 “婆講” とも呼ばれます。この講では毎月24日に地蔵講が営まれ、60歳になった地域の女性は自動的に講員になります。恐山参りには春祈祷・夏祈祷(大祭)・秋祈祷・冬祈祷の四季それぞれに祈祷が行われ、周辺の農村・漁村の人々は季節ごとの祈祷に参拝に訪れます。

 戦前は交通も不便で徒歩での参拝の頃は、朝午前3時ごろには集落を出発しました。

 昭和40年ころまでは、夏参りは7月20日の未明に、山に滞在中の食料と供養のための供え物・布団・自炊のための台所用具など一切を背負って山に登りました。年寄りには背負いきれない大荷物は “送人(おくりと)” と呼ばれる孫娘や嫁が背負って付き添います。山に入ると宿坊に泊まりますが、その楽しみは温泉にゆっくりつかることで、夜は盆踊りも催されます。

 こうなると完全に骨休めですね。恐山は信仰と娯楽がセットになっているのが特徴で、大っぴらに遊山に行くのが憚られる時代にも、信仰と先祖供養を言い立てて山へ登りました。

死者と生者の仲立ち「イタコの口寄せ」

 恐山といえば「イタコの口寄せ」ですが、イタコと呼ばれる女性たちは普段は津軽や南部地方を中心に回って口寄せ、つまり死者の魂を呼び出して現世の者との会話の仲立ちをして生計を立てています。

 恐山に集まり始めたのは昭和の初めころと、それほど昔からの習俗ではありません。それを昭和30年ごろにマスコミが報じてイタコブームが起こり、各地から本当に亡き人と話したい者や、興味本位に口寄せを見たい者がやって来るようになりました。このころには40人以上のイタコが集まりましたが、高齢になった者が廃業したり亡くなったりで年々少なくなります。

 現在では7月末の夏参りと10月上旬の秋参りの年2回に、20人前後のイタコが恐山に集まります。口寄せの料金などは特に決まりはなく、志・気持ちとして3000~4000円ぐらいを納めます。

口寄せはイタコの商売

 本来、イタコは師匠に弟子入りし修行をして身上がりし一人前になります。以前は目の不自由な女性が生きていくためにイタコとなったりしましたが、平成になるとそうでない女性も入門しました。イタコは道を究める修行ではなく、生きていくための商売です。

 昭和のイタコブームの時には手っ取り早く稼げるとして、北海道などからもにわかイタコがやって来ましたが、修行もろくに積んでおらず、イカサマ商売が横行します。儲かると見込んだ香具師がイタコに同行する事もあり、彼らの方が商売勘もあってこの状況はまずいと見抜きました。香具師たちが連絡を取って同業者仲間の互助組合を作り、数年後にはイタコ組合が発足、恐山での商売のやり方を話し合います。

 恐山を管理している円通寺はイタコたちに干渉はせず、昭和45年(1970)イタコの夫の一人が責任者となり、寺側との交渉の窓口になります。大祭になれば責任者は参加するイタコの人数を寺へ知らせ、口寄せをする場所や寺へ払う使用料をイタコ全員と話し合います。昭和45年だと1人500円の祈祷料をイタコたちが自発的に寺へ納めました。

変質するイタコの口寄せ

 本来イタコは誰の規制も受けずに地蔵堂周辺の好きな場所で口寄せを行いました。しかし昭和のブーム以来大勢のイタコがやって来るようになり、座る場所によって売り上げが大きく変わってくると、諍いを避けるため、座席の割り当てが行われます。

 夏の大祭前の7月19日に抽選が行われるので、イタコは午前中に山へ登ります。祭りの途中で帰るイタコが居ればその後へは自由に座れたので、稼ぎの良い場所だと奪い合いになったとか。

 口寄せ料は昭和45年に仏降ろしが一口250円に統一、口寄せの録音をするときはさらに100円が追加払いです。その後は年々値上がりし現在は数千円、地元の婆様や主婦にはかなりの金額で、昔から口寄せを頼んでいた人もためらいを見せます。それでも恐山へ来たからには記念にと口寄せを頼む観光客で順番待ちの長蛇の列ができます。

釜臥山からみた恐山菩提寺の遠景
釜臥山からみた恐山菩提寺の遠景

口寄せの実際

 口寄せにはおおよその筋書きがあり、呼ばれた霊が語る言葉とされます。

  • 1.恐山の慈覚大師の元に呼んでもらって嬉しい、供物も捧げてもらってありがたい
  • 2.私は直接話せないのでこの人の口を借りて語る
  • 3.もっと生きたかったがこれも定め、後は家族助け合って仲良く暮らすように
  • 4.身内の喜びはいつ頃あり、災難はいつ頃あるから気を付けるように
  • 5.大勢の中では話せないこともあるので、別の機会に呼んでほしい
  • 6.手向けられた水を頂いて7日7夜の後、あの世へ帰る

 誰にでも当てはまる当たり障りのない筋書きです。口寄せの時間は3~5分ぐらいと短時間なので十分意思が伝わらない事もありますが、残された者にとって死者の言葉を身近に聞いた喜びと満足感は言葉にできないものだそうです。

おわりに

 青森県南部の人たちは恐山を“お山”と呼んでおり、「死ねばお山さいぐ」と言いました。そのため死者が出ると近親者はすぐさま屋根に上り恐山に向かって「やあい、戻れやあい」と大声で呼ばわりました。これを“魂呼び(たまよび)”「まだ早い、まだ行くな」との残された者の心情から出た儀礼とされます。


【主な参考文献】
  • 宮本袈裟雄、高松敬吉『山と信仰 恐山』(佼成出版社/1995年)
  • 田村善次郎『稼ぐ・働く・祀る・祈る―日本・くらしの断章』(八坂書房/2014年)
  • 盛田稔『青森県謎解き散歩』(新人物往来社/2012年)

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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