忌み言葉と言霊信仰 ~言葉にひそむ底知れぬ力

 忌み言葉。それは、特定の地域や期間などで「使ってはいけない」と決められた言葉です。もしくは、その言葉の代わりに用いられる言葉をさすこともあります。

 忌み言葉と聞くと、なんだか古めかしい印象を受けるかもしれません。とはいえ現代でも、受験の際に「すべる」「落ちる」といった言葉を避けたり、結婚式で「別れる」「離れる」という言葉を別のものに代えたりしていますね。これは、日本の「言霊信仰」にもつながる慣習といえるでしょう。

 「忌む」という観念は、古くからわたしたちの生活に大きく関わってきました。今回は、こうした忌み言葉の文化について、種類別に見ていきたいと思います。

なぜ「忌む」のか?

 「忌(いみ)」とは、通常の概念から外れた神聖な存在に対して、祟りや障りといった被害がおよばないよう、特定の行動などを避けることです。この字を使う単語である「禁忌」は、「タブー」とも呼ばれ、「してはいけないもの」「すると災いが起こるもの」というイメージがありますね。

 「忌」という語は、日本最古の書物である『古事記』にも見られます。

 天照大御神が姿を隠したという天岩戸(あまのいわと)の話において、須佐之男命(すさのおのみこと)は、神聖な機織り場へ皮をはいだ馬を落とします。この機織りの建物を「忌服屋(いみはたや)」と言いました。

 同時期に編纂された『日本書紀』には、同じ建物について、「斎服殿(いみはたどの)」であると書かれています。「斎(いみ)」は、「精進潔斎(しょうじんけっさい)」という言葉にもあるように、身を清めるといった印象を受けますが、古くは「忌」も「斎」も、同じ意味として扱われていたようです。

 一方、平安時代の貴族の間では、死などの穢(けが)れを見たら謹慎する「物忌(ものい)み」という風習がありました。これは、陰陽道の影響を強く受けていたためと考えられています。

 他には、神社などで巫女や神職者が神へ仕えるために日常から離れて不浄を断つ行為についても「物忌み」もしくは「忌籠(いみごも)り」と呼ばれており、どちらも心身を清める目的がありました。

 古くから信じられているタブーとしては、山の神が宿るなどして伐採を禁じられた「忌木(いみき)」、厄神が訪れるなどの理由から謹んで過ごす「忌日(いみび)」といったように、さまざまなものがあります。

 それらの中でも、特に種類が多いのは「忌み言葉」でしょう。山などの地域限定の忌み言葉は、現代の都市部だと馴染みが薄いかもしれませんね。しかし、お正月や弔事・祝事などに関連するものであれば、今も自然に使われていることが多いと思います。

 忌み言葉には、どんなものがあるのでしょうか。

山の忌み言葉「山言葉」

 山に入って狩りをするマタギなどの猟師は、日常生活をいとなむ里での言葉を強く制限していました。これを「山言葉(やまことば)」と言い、反対に山以外で使う日常的な言葉を「里言葉(さとことば)」と呼びます。

 もし山の中で里言葉を使ってしまった場合は災いがあるとされ、地域によっては水垢離(みずごり/水で身体を清める)を行いました。また、山言葉を里の人に話すと、天罰があると信じられていた地域もあります。

 山言葉は地域差が非常に大きいものの、主に以下のようなものが挙げられます。

  • 熊:「ナビレ」(南会津)、「イタチ」(南津軽/北秋田)
  • 猿:「キムラサン」(四国)、「サネ」(北秋田)、「ムコウヤマ」(信州)
  • 兎:「イワツラ」(越後)、「ダンジリ」(津軽)、「ミコドモ」(熊野)
  • 獣の肉:「シャチノミ」(東北マタギ)
  • 里の人:「セタギ」(秋田マタギ)
  • 死ぬこと:「山言葉になる」という(越後三面)
  • 一声呼び:怪物は人を一声しか呼ばないため、山小屋で人を呼ぶ時は、必ず二回続けて呼ぶこと(飛騨大野)
『禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳』より引用

 このような慣習には、山言葉を使うことによって、里での日常と山の非日常を区別し、山を支配する神の許しをもらい、狩猟を無事に成功させるという目的があったようです。

海の忌み言葉「沖言葉」

 山だけでなく海にも、漁師たちの間で守られていた「沖言葉(おきことば)」があります。古くから、海上では船霊様(ふなだまさま)が船を守護すると考えられており、この神が嫌う言葉を避けて、別の言葉を使うといった習わしがありました。

  • 蛇:「長いもの」「ナガモノ」(全国共通)
  • 鯨:「エミス」「エビス」(全国共通)
  • 猿:「山の人」(全国的に散布/山言葉にも見られる)
  • 四本足の動物:「カノ」(長崎県壱岐島)
  • 先乗り:船に乗った後、船の到着時を問うことを避ける(高知県土佐)
『禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳』より引用

 海での漁は不確定要素が高く、ある程度は予測できるとはいえ、不漁や海難のおそれもあります。沖言葉は、こうした災難を避けて大漁を祈願するために生まれたと考えられています。

日本における言霊信仰

 山言葉や沖言葉といった忌み言葉が使われていたのは、「言葉には力がある」と信じられていたからに違いありません。古くから人々は、特定の言葉を避け、あるいは使うことによって、自然界の神から特別な力を授かろうとしていたと考えられます。

 日常生活では得ることのできない、超自然的な力。人々はこれを霊力と考え、言葉に宿る霊の力を信じました。これを、「言霊(ことだま)信仰」と呼びます。

 日本最古の歌集『万葉集』において、奈良時代初期の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)は、このように歌っています。

「神代より 言伝て来らく そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸(さきは)ふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり(中略)」

現代語訳:神代から言い伝えてきたことには、日本の国は、皇祖神の神威がいかめしい国であり、言葉に宿る霊力が幸いをもたらす国であると語り伝え、言い伝えてきた。(中略)
万葉集 巻五 八九四番 山上憶良


 この歌で述べられているように、少なくとも古代においては言葉のもつ霊力が信じられており、年月を経てもその信仰が続いていたということがわかりますね。

 民俗学者の折口信夫は、言霊信仰の移りかわりについて、始めのうちは言葉を通して魂が入って来る――すなわち、言語は仲介者であると考えられ、その後に言語そのものも魂をもつと考えるようになった、と述べています。

 すべてのものに魂が宿るという思想は、西欧におけるアニミズムにも通じますが、かたちのある物質だけでなく、言葉にも魂が宿るとは、よく考えてみると不思議なものですね。

おわりに

 人は、言葉をコミュニケーションの手段として日常的に使っています。

 たとえば、思いがけず嬉しいことを言われた時。もしくは、心ない言葉をかけられた時。わたしたちは、言葉ひとつで一喜一憂します。

 急に「忌み言葉」や「言霊信仰」と言われても、身近には感じられないかもしれません。しかし、日々わたしたちが発したり受け取ったりしている言葉について考えてみると、「何気なく口にした言葉が、誰かを癒やした/傷つけた」ということは、良くある気がします。

 言葉の力は、良くも悪くも、人に影響を与えるもの。そのことをしっかりと自覚して、言葉を使っていきたいですね。


【主な参考文献】
  • 柳田國男『禁忌習俗事典 タブーの民俗学手帳』(河出書房新社、2021年/初出:1938年)
  • 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 上』(吉川弘文館、1999年)
  • 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 下』(吉川弘文館、2000年)
  • 宮腰賢、他『全訳古語辞典 第五版 小型版』(旺文社、2018年)
  • 折口信夫『国語と民俗学』(青空文庫、2012年/初出:1937年)

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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