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【史跡散策】大津城…琵琶湖の水城、京極高次の関ヶ原を追う
- 2023/11/07
大津城があった滋賀県大津市。JR大津駅から10分ほど歩くと琵琶湖が見えてくる。琵琶湖のほとりにあるのは、京阪電車のびわ湖浜大津駅。この駅は、戦国時代に大津城があった城域にほぼ入っているようだ。
滋賀県大津市浜大津にあった水城は、豊臣秀吉の命により、1586年(天正14年)に明智光秀の居城であった坂本城の木材を転利用して築城された。本丸に天守があり、伊予丸、香集丸、奥二の丸、二の丸、三の丸と、内掘、中堀、外堀と三重の堀で囲まれていたという。二の丸・三の丸は内陸側にあり、本丸は当時の琵琶湖畔に面し、港の機能を担っていた。
大津城籠城戦とは、1600年、関ヶ原の戦いに伴って発生した戦である。
大津城の城主は、京極高次。豊臣秀吉の武将として、当然西軍に付くと思われていたが、東軍へ寝返り、籠城した。包囲する西軍側は毛利元康を大将とし、それに大砲を持つ立花宗茂、小早川秀包、筑紫広門ら九州方面の諸大名の軍勢を中心とした総勢1万5000、京極高次は3000の兵だった。
京極高次がこれほど無謀な裏切りを実行したのは、徳川の誘いもあったとはいえ、ひと言でいうと秀吉への複雑な気持ちだろう。
駅の少し東側、線路をまたぐ陸橋のあたりが、大津城の東側にあたりそうだ。
そこから更に東側には、現在はホテルやショッピングセンターがあるが、400年前はまだ埋め立てられていなかったので、道路か道路に沿った線路のラインあたりまで琵琶湖の波打ち際があったのだろう。このあたりでいちばん古い「旧大津公会堂」でも昭和9年に建てられており、まだ100年もたっていない。
本丸にあたりそうな場所は、大津マリーナや大津港に隣接した市民憩いの場、公園になっている。とても激しい籠城戦があった場所とは思えない。石碑がひとつだけ残されている。
琵琶湖に突き出した本丸と天守があった付近は、現在の大津港。周遊船クルーズ乗り場となっていて、豪華な船が寄港している。100メートルほど沖には、桟橋が掛けられていて、夏にはびわ湖花火が打ち上げられるが、当時はもちろんなかった。
隣接する建物に上がって、天守最上階に近い高さから琵琶湖を見下ろしてみる。
京極高次は正室の初とともに大津城に籠城した。初は浅井3姉妹の次女。ふたりもこれに近い景色を見ながら戦ったのかもしれない。初もまた、姉の豊臣方、妹の徳川方とに挟まれた微妙な立場だ。
比叡山方面は、琵琶湖畔に密集するマンションやビルを除けば、地形は当時と変わらないだろう。
すぐ終わると思われた籠城戦は、1週間にも渡ったという。近くの三井寺から大砲を打ち込まれても、京極高次は降伏しなかった。説得されて降伏した日が、関ヶ原の当日、西軍の大軍は関ヶ原に間に合わず、徳川家康は勝つことができた。
ボロボロになった大津城だったが、家康は縁起が良いとして天守を彦根城に移築させたという。それは明治の廃城令も太平洋戦争も乗り越え、国宝として現存している。
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