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3歳で嫁いだ徳川家の姫さまの嫁入り道具に意外なものが・・・

徳川家光は祖父の家康が開いた江戸幕府を継いで盤石にした三代目将軍。その家光の第1子となる女の子が、寛永4(1637)年に生まれました。千代姫と名付けられた女の子は、なんと数え3歳で尾張藩へと嫁入りします。その婚礼に際し、幕府が威信を懸けて揃えた豪華絢爛な嫁入り道具―それが「初音の調度」です。
 
初音の調度は源氏物語にちなんでデザインされた道具類で、鏡台や机、香炉などさまざまな品の総称です。ただし単なる調度品と侮るなかれ。幕府のお抱え職人として最高峰の技術を持っていた幸阿弥長重の手で蒔絵や彫刻が施された逸品で、日本史上有数の工芸品、美術品といえるでしょう。

その中でとりわけ異彩を放つのが将棋盤と駒です。正式には「胡蝶蒔絵将棋盤・駒箱」と呼ばれています。平安貴族たちが船上で優美に遊んだ源氏物語の「胡蝶」の帖にちなみ、脚付きの将棋盤の側面と駒箱の表面に、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)と呼ばれる船首が龍や水鳥の形をした船があしらわれています。繊細さと力強さを併せ持つ意匠で、思わずほれぼれしてしまいます。

もとは囲碁や双六の道具もセットになっていたようですが、今も一式揃っているのは将棋道具だけです。40枚の駒が1枚も欠けることなく残っているのですから、とても大切に受け継がれてきたに違いありません。

なぜ囲碁や将棋の盤が嫁入り道具になったのでしょうか。それは家康が囲碁将棋を愛好し、家光の治世で幕府の禄を食む棋士たちが年1回対局する「御城碁」と「御城将棋」が始まるなど、徳川家と囲碁将棋が非常に縁深かったことが関係していると思われます。

これらの品々は千代姫が生まれた年に発注され、作り始められたそうです。生まれた時から伴侶を決められているなんて、現代の感覚では可哀想な気もしますが・・・。ちなみに嫁ぎ先は尾張徳川家二代目藩主の徳川光友。書や茶道が達者な一方で剣術にも長けた、なかなかの人物でした。千代姫は62歳で亡くなるまで、生涯にわって「姫」と呼ばれ続けたそうです。

名古屋の婚礼は大金を注いで派手にやることで知られます。かつては嫁入り道具を満載し、紅白の帯で飾られた「嫁入りトラック」なるものが、家の繁栄を見せびらかすように街を走っていました。千代姫の婚姻は、そんな見栄っ張りな風習の先駆けかもしれませんね。

初音の調度は現存する70点が1996年に国宝に指定され、名古屋市の徳川美術館が所蔵しています。時々公開もされるので、チャンスがあればぜひご覧になってください。

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  この記事を書いた人
かむたろう さん
いにしえの人と現代人を結ぶ囲碁や将棋の歴史にロマンを感じます。 棋力は級位者レベルですが、日本の伝統遊戯の奥深さをお伝えできれば…。 気楽にお読みいただき、少しでも関心を持ってもらえたらうれしいです。

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