稲葉山城を岐阜城に改名した武将は?

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『美濃を制する者は天下を制す』と言わしめ、難攻不落の城と称された美濃国の「稲葉山城」。 その稲葉山城の名を「岐阜城」に改めた武将は次のうち、誰でしょうか。

( 正解率は 87 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「織田信長」

  回答内訳

344人 が回答済です

斉藤龍興(さいとう たつおき)(19回答)
5%
織田信長(302回答)
87%
豊臣秀吉(12回答)
3%
土岐頼芸(とき よりのり)(11回答)
3%

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 解説

稲葉山城は、美濃斎藤氏の居城でしたが、織田信長が永禄10年(1567)8月に美濃国を制圧し、名を「岐阜城」に改めて居城としました。命名は、信長と政秀寺の高層・沢彦宗恩(たくげんそうおん)との合作です。

宗恩が中国の故事から「岐山」、「岐陽」、「曲阜」の字を抜粋。信長は「周の文王が、岐山から起こり天下を定める」という「岐山」の「岐」、そして儒教の祖・孔子誕生の地である「曲阜」から「阜」を選びました。

ここから、「岐阜」という名が生まれたのです。

なお、岐山には昔、鳳凰がまいおりたとの説があり、「岐山」、「岐陽」、「曲阜」の3つの地は、中国で縁起のいい地といわれています。この名前には、「太平と学問の地になるように」との、信長の願いが込められているとか。

城攻略後に信長は、小牧山城から岐阜城へ居を移しています。天下統一にかける決意を皆に示すためだったようです。


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