江戸時代中期に書かれた『明良洪範』には豊臣秀頼(とよとみ ひでより)の身長が記されています。果たしてどのくらいだったのでしょうか?
( 正解率は 60 % )正解!
ざんねん…
答えは「197センチ」
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江戸時代の書物『明良洪範』には、慶長16年(1611)に徳川家康と会見した時の豊臣秀頼の様子が記されています。 秀頼のことを「賢きひと」と表現し、背の高さは「大兵にて御丈6尺5寸余り(約197センチ)」だとしています。また、秀頼と同時代に書かれた『長沢聞書』には「世に無き御太り」と記されているため、非常に大柄だったことがうかがえます。 父の秀吉は小兵だったものの、母の淀殿は背が高かったとする説もあり、もしかすると母方の影響を受けていたのかも知れません。
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