兎の歴史~癒されペットの今昔~

2023年の干支は「卯」。ぴんと長い耳、小さな尻尾、モフモフのフォルム……。兎は、私たちの心をやさしく和ませてくれますね。

癒し系ペットの代表格である兎は、いつから日本にいたのでしょう。また、ペットとして定着する前は、どんな存在だったのか知っていますか?

今回は、日本における兎の歴史について見ていきます。

兎はいつから日本へ?

私たちが「兎」といわれて思い浮かべる姿は、「カイウサギ」という品種のものです。
英語では「rabbit」。この呼び名は、日本にも浸透していますね。

カイウサギは、耳が垂れているものや毛の色など、多くの種類に分類されています。もとはアナウサギという品種が海外で改良されたもので、日本にはいませんでした。それが明治維新より後に日本へ輸入され、今日までペットとして愛されてきたのです。

一方、古くから日本で生息していた野生の兎もいます。
それは「ノウサギ」。英語では「Hare(ヘア)」と呼ばれます。

確かに兎に見えますが、足は長くて筋肉質、力強いジャンプ……。野武士のような泥臭さまで感じ取れますね。このノウサギは、縄文時代から日本にいたことが分かっています。

令和3(2021)年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一部として世界文化遺産に登録された、青森県・三内丸山遺跡。ここでは、縄文時代の人々が食べていた小動物として、ノウサギの骨が多く発見されています。当時から、ノウサギは人々に狩られて食糧となっていたのですね。

さらにノウサギは、現在でも害獣として駆除される立場にあります。

平成14(2002)年に公布された「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」では、ユキウサギおよびノウサギが狩猟鳥獣と定められています。

ここで疑問に思うことが1つ。
ノウサギは、なぜ害獣と呼ばれているのでしょうか。

それは、ノウサギが「畑や森を荒らす」ため。ノウサギは畑の作物の蕎麦や小麦などを特に好み、畑をまるごと食べつくすこともありました。また逃げ足が速い上に繁殖力も強いため、農家にとっては悩みの種となっているのです。

江戸時代の文政9(1826)年に書かれた随筆集『中陵漫録(ちゅりょうまんろく)』では、兎害対策として、畑の苗に泥水をかけて兎に食べられるのを防ぐという方法が載っています。

カイウサギと、ノウサギ。
現代では、兎といえばカイウサギのイメージですが、明治以前の日本ではノウサギの方が一般的でした。
見た目も性質も異なる2種ですが、歴史をひもといてみると、扱われ方も違っていることが分かりますね。

物語からみる兎の民俗

ここでは、日本に伝わる神話や、昔話に伝えられる兎の姿について見ていきます。

最初に紹介するのは、出雲神話として知られる「因幡の白兎」。
兎がサメ(ワニザメ)を一列に並べさせ、その上を飛び乗って海を渡り、最後にサメをあざ笑ったため、怒ったサメに皮をはぎとられてしまうというもの。
その後の兎は通りがかった神々にも冷たくされ、傷だらけで泣いていましたが、大穴牟遅(おおなむじ/大国主命)はやさしく治療法を教えました。感謝した兎は、お礼に求婚の成功を予言します。

このお話は古事記や出雲大社、白兎神社(鳥取県)の縁起にも登場します。絵本や教科書などで読んだ人もいるのではないでしょうか。
ここでは、兎を「ずるがしこいが、油断した時に失敗する」「親切にされて改心する」といったキャラクターとして扱っていることが分かりますね。

続いては、月に兎がいるきっかけとなった物語について見ていきましょう。
「今昔物語集 巻五第十三話」に収録されているお話です。

昔、インドに兎・狐・猿がいました。彼らの行いを試そうと、帝釈天(仏教の守護神)が、老人に姿を変えて彼らに物乞いをします。
それに応え、猿と狐は食べ物を調達し、老人へ差し出しました。一方、兎はあちこちを探しましたが、食べ物は見つかりません。そこで兎は火の中へ身を投げ、みずからの身体を老人へと捧げました。帝釈天は兎の行いに感動し、兎の姿を月へと映します。

これが、月に兎がいると言われる理由です。

仏教説話として知られるこのお話は、釈迦の前世譚として「ジャータカ物語」にて描かれ、日本にも伝わりました。『ウサギの日本文化史(赤田光男)』によれば、月と兎の由来に関する日本独自の説話は発見されていないそうです。

ここに出てくる兎は、他者のために自分を犠牲とするイメージですね。

最後は、能に登場する兎について見てみましょう。

能の「竹生島(ちくぶしま)」は、醍醐天皇の臣下が、琵琶湖の竹生島へ参拝する際の出来事を描いたものです。
琵琶湖の景色を眺めながら竹生島へ向かう途中、「月が湖上に浮かぶなら、(月の)兎も躍り出るだろうか」というナレーションが入ります。

醍醐天皇の治世は寛平9(897)年から始まるため、この演目に出てくるような月と兎のイメージは、やはり古くから知られていたようです。

これまで見てきたように、兎は「ずるがしこい」「悪知恵がある」といった憎まれ役であり、また「やさしい心」や「自己犠牲の精神」を持つこともあるという、正反対の印象が混在しています。

これは、当時の日本人にとっての兎のイメージが、畑を荒らすという短所と、狩られて食糧となる長所、両方を持つことにも関連するかもしれませんね。

兎バブル!?狩猟獣から愛玩動物へ

さて、明治以降に、なぜ兎のペットブームが広まったのでしょうか。

その理由は、「兎バブル」にあります。

明治維新後、アメリカやイタリアからやってきた外来種の兎(カイウサギ)は、ペット用として庶民に珍しがられました。特に、白地に黒の「更紗」と呼ばれる交配種などが人気を博していたようです。

兎の値段については、「買った時の10倍で売れた」という話も残っています。当時の金銭事情だと、兎1羽の値段が成人男性7年分のお米の値段と同じだったなんてことも。

兎を繁殖させれば一攫千金のチャンスという噂が広まると、これに手を付ける職人や商人が急増しました。中には、明治維新によって身分が変わった華族(公家・諸侯)や士族(武士)も含まれていたといいます。
東京や大阪では「兎会」と呼ばれる兎売買用の集会が行われ、兎の値段はさらに高騰。「兎バブル」が巻き起こったのです。

一方、政府は「経済の混乱をともなう」として、兎売買へ難色を示していました。

明治5(1872)年、大阪府では「兎会」の禁止が発令されましたが、やはり隠れて兎を売買していた者も多かったようです。

明治6(1873)年、東京府は「兎税」を導入。兎1羽につき毎月1円という税を定めました。当時の1円は、大人3ヶ月分のお米代とされているので、相当な高額です。以降、兎の売買は急速に減少し、6年後には兎税が廃止されています。

こうして兎バブルは落ち着きましたが、これが兎のペットブームの元祖であることは間違いないといえますね。

おわりに

まず驚いたのは、明治時代の前と後ろで、兎に対するイメージががらりと変わっていたことです。兎バブルという言葉も初めて聞きましたし、売買や値段の吊り上げが横行していたのも意外でした。

兎は、今では可愛いペットとして愛されています。年が明けた卯年には、もっと兎を目にする機会が増えるでしょう。これをきっかけに、兎の歴史について思いを馳せてみるのもいいですね。


【主な参考文献】

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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