ネコの歴史 ~癒されペットの今昔~

 しなやかな体躯、随意に動くしっぽ、まんまるの瞳。ネコは、はるか昔から人間とともに過ごし、世界中で広く愛されてきました。現代の日本でも、ネコの魅力にひかれ、癒されている方は多いと思います。品種や性格によっては野性味を残すネコもいれば、本能はどこへ行ったのかと聞きたくなるぐらいに無防備なネコもいますね。

 ネコは身近な存在として可愛がられていますが、もともと日本にいた動物なのでしょうか?そしてネコは、どのように人々と暮らしてきたのでしょうか。今回は、日本においてネコが人とともに歩んできた歴史をひもといていきます。

ネコと人間のあゆみ

 ネコは、愛玩用として人と暮らしてきたイエネコ、野生動物であるヤマネコといった種類に分かれます。イエネコが人に飼われるようになったのは、いつからなのでしょうか?

 ネコが人と暮らしていた証拠として、現時点で世界最古とされるのは、地中海に浮かぶネコの楽園・キプロス島にある、紀元前8000年代の遺跡で発見されたお墓です。このお墓では、人間とヤマネコが一緒に埋葬されていました。一般的に、飼い慣らされたネコが歴史に登場してくるのは、キプロス島の遺跡よりも4000年ほど時代を下った、古代エジプトからです。

 古代エジプトでは農作物を食い荒らして病気を媒介するネズミを退治するため、リビアヤマネコなどの野生のネコを家畜化しました。このネコたちはイエネコの祖先と言われ、古代エジプトが滅んだ後はヨーロッパにおいて広まり、現代のイエネコとなったと言われています。

古代エジプトでは猫は崇拝され、バステト女神として神格化もされていた。
古代エジプトでは猫は崇拝され、バステト女神として神格化もされていた。

日本にネコが来たのはいつ頃?

 日本におけるネコには、どんな歴史があるのでしょうか。

 古くは縄文時代の地層から、ネコの化石が見つかっていますが、その頃すでにネコが家畜化されていたかどうかまでは分かっていません。現在の日本にいるイエネコの祖先は、6世紀半ばの仏教伝来とともに、経典や穀物をネズミの食害から守るために中国から渡来したという説が主流です。

 古代エジプトでは「マウ」、中国では「マオ」と呼ばれたネコですが、日本で「猫」という記述が文献にみえるのは、8・9世紀頃から。これは、奈良から平安にかけての時代ですね。

 奈良時代後期の8世紀ごろに成立した『新訳華厳経音義私記』には、「猫狸」という項目に「尼古(ねこ)」という記述があり、ネコはネズミを捕らえるものだという説明があります。また、平安時代初期の9世紀に書かれた説話集『日本霊異記』では、「狸」という漢字に「ねこ」という読み仮名が付けられています。

 タヌキはイヌ科で、ネコはネコ科。だいぶ違う動物に思えますが、なぜ一緒にされていたのでしょうか。これは、もともと中国で「狸」という字が「猫」と同義とみなされていたためと考えられています。

 中国語では、ネコのことを「狸奴」と書く場合があります。その影響で、日本でもネコのことを「狸」という漢字で記したようです。タヌキとネコは、ふわふわした毛並みと丸まった姿が、どことなく似ているのかもしれませんね。

日本で愛されてきたネコの歴史

 ネズミを駆逐するために日本へとやってきたネコですが、次第に愛玩用として親しまれるようになっていきます。ここでは、ネコを愛した歴史上の人々について見ていきましょう。

 仁和3年(887)に即位した第59代宇多天皇は、自分が寵愛していたネコについて、『寛平御記(かんぴょうぎょき/または宇多天皇御記)』という日記に記しています。

 『寛平御記』では、宇多天皇のネコがいかに素晴らしいかが綴られています。その毛色は「たいそう美しくたぐいまれなほど」であり、「目はきらきらと輝いて、針を散らしたように光る」とのこと。現在のネコ好きでも大きくうなずきそうな、ネコをほめたたえる文章です。

 宇多天皇に飼われていたネコは、中国から渡来した「唐猫(からねこ)」だと考えられています。唐猫は貴族の間で珍重されていましたが、数日可愛がっただけで他の人に譲り渡すこともあったようです。しかし、宇多天皇は同じネコを飼って5年になると書いているので、ネコをとても大切にしていたことがうかがえますね。

 他にも、ネコに「命婦(みょうぶ)のおとど」という、従五位下(じゅごいげ)以上の位を示す名前を授けていた一条天皇も、無類のネコ好きとして有名です。

 また日本の仏教にも、ネコ好きとして知られている宗派があります。それは、室町時代に発展した禅宗です。禅宗における禅問答に、「牡丹花下睡猫児(ぼたんかかすいびょうじ/牡丹花の下で睡るネコ)=心が穏やかで悟った様子」という解釈があり、ネコはことさらに可愛がられていたようでした。

 牡丹の下で眠るネコといえば、日光東照宮の回廊にある国宝「眠り猫」ですね。徳川家康の墓所の入口で、あどけない寝顔を見せてくれる眠り猫は、穏やかで平和な世の中を象徴する存在だったのかもしれません。

※参考:2016年に「眠り猫」の修理が行われた際のニュース(下野新聞チャンネルより)

 日本のネコは、時代が移るにつれ、その数を増していきます。特に江戸時代になって養蚕業が広まると、蚕を食い尽くしてしまうネズミは養蚕農家の悩みの種となり、またしてもネコはネズミ退治のために重宝されました。

 人々は蚕をネズミから守ってもらうため、ネコが描かれた絵をネズミよけとして置いたり、「猫神様」と呼んで神社に祀ったりと、さまざまな工夫を凝らしたのです。

神秘と生きるネコのすがた

 中世ごろには、ネコのもつ不思議な力も注目されるようになりました。

 「ネコの魂が亡くなった人に乗りうつって動きだす」といった俗信は日本各地で見られ、亡くなった人がいる家ではネコを別の部屋に置いたり、籠に入れたりしたのだとか。

 他にネコがもたらす不思議な出来事について、今でもよく知られているのは、「猫又(ねこまた)」や「化け猫」といった、ネコが妖怪に変化して人を化かすといったものでしょう。

 猫又は尻尾が2つに分かれたネコで中世から広まり、化け猫の方は近世になって演劇や小説、浮世絵などのモチーフとして描かれることが増えました。

化け猫(歌川国芳画、出典:wikipedia)
化け猫(歌川国芳画、出典:wikipedia)

 近松門左衛門の歌舞伎「傾城富士見る里(けいせいふじみるさと)」を始めとして、九州の有馬家における猫騒動をもとにした歌舞伎「有松染相撲浴衣(ありまつぞめすもうのゆかた)」などが人気を博したといいます。

 またネコの妖怪は、長く生きたことによって魔性を得たとも言われました。その年月は地域や伝承によって異なり、短いものだと3年、長ければ10年というところも。一方で年月と関係なく、重さが一貫目(3.75kg)以上のネコは化ける、ネコをいじめると祟られる、といった話もあるようです。

 そうして生まれた化け猫や猫又は、飼い主の枕もとで着物を着て踊りだしたり、災いを呼んだり、人間の言葉を喋ったりと、さまざまに言い伝えられています。

 人々に愛される一方で恐れられてきた、ネコという不思議な生きもの。こうした伝承が生まれた背景として、ネコが夜行性で群れをつくらず、気まぐれでミステリアスな部分があることなどが挙げられるかもしれませんね。

おわりに

 最近、縁あって保護猫を引き取りました。まだ生後半年にも満たない子猫なのですが、あらゆる仕草が可愛くて、また時おり見せる獣らしさが恐ろしくて、目が離せません。自分の飼いネコというだけで、こんなに夢中になってしまうなんて、本当にネコって不思議な生き物ですね。

 古くから、日本でネコと人がともに暮らしてきたということ。そして今も日本のどこかで絶え間なく、ネコと人とのつながりが築かれているということ。自由で気高く、愛らしい生きものであるネコとの歴史を、私も紡いでいきたいと思います。


【主な参考文献】
  • 福田アジオ他編『日本民俗大辞典 下』(吉川弘文館、2000年)
  • 池上正太『猫の神話』(新紀元社、2013年)
  • 田中貴子『猫の古典文学誌 鈴の音が聞こえる』(講談社、2014年)
  • 鈴木棠三『日本俗信辞典 動物編』(KADOKAWA、2020年)
  • 岡田希雄『新訳華厳経音義私記倭訓攷』(京都大学国文学会、1962年)
  • 高野斑山, 黒木勘蔵 校訂『近松門左衛門全集 : 10巻 第三巻』(春陽堂、1922年)
  • CNN International「Ancient burial looks like human and pet cat」(最終閲覧日:2023年8月10日)

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  この記事を書いた人
なずなはな さん
民俗学が好きなライターです。松尾芭蕉の俳句「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」から名前を取りました。民話や伝説、神話を特に好みます。先達の研究者の方々へ、心から敬意を表します。

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