「どうする家康」なぜ家康は今川氏の人質となったのか?

静岡県静岡市葵区黒金町、JR静岡駅北口に立つ竹千代と今川義元像
静岡県静岡市葵区黒金町、JR静岡駅北口に立つ竹千代と今川義元像

 2023年の大河ドラマ「どうする家康」が1月8日にいよいよスタートしました。

 主人公は誰もが知る戦国武将・徳川家康(演じるのは、松本潤さん)。物語は、駿河国の今川義元のもとで、人質でありながらも、それなりに満ち足りた日々を過ごす若い頃の家康の描写からスタートします。

 確かに家康は、6歳の頃から、駿河の今川のもとで生活していました。そして、弘治2年(1556)か3年(1557)頃に、関口氏純の娘・築山殿(ドラマでは瀬名)と結ばれています。氏純は、今川一門の瀬名氏の出でした。

 家康の生まれは天文11年(1542)ですので、大体、14歳頃に築山殿と結婚したことになります。ドラマでは、手作りの玩具(人形)で遊ぶ少年時代と思われる家康の姿が描かれていましたが、この辺りは、もしかしたら、現在39歳の松本潤さんではなく、子役の人が演じられた方が良かったかもしれません。

 家康の妻・築山殿を演じるのは、女優の有村架純さん。これまで、築山殿はドラマにしても漫画にしても「悪女」のように描かれてきたと思います。1983年の大河「徳川家康」では池上季実子さんが、2017年放送の「おんな城主直虎」では菜々緒さんが、築山殿を演じてきました。有村さんは、池上さんや菜々緒さんのキリリとしたイメージとは違い、どちらかと言えば、おっとりした優しげな印象。

 果たして、有村さんが「悪女」に変貌していくのか。それとも、このままの優しい感じで一貫するのか。それによって、これから、築山殿の最期を見ることになる視聴者の感想がガラッと変わることになるでしょう。

 今作の家康は、か弱いプリンスとして最初は描かれるようですが、家康の性格も変化していくのかも注目されますが、築山殿の「変貌」があるのかも私は気になります。

 家康がなぜ駿河の今川氏のもとにいるのかが、初回からは分かりづらいとの声がネットでありましたので、補足しておきますと、家康が誕生した頃の松平家は、三河国の弱小国衆でした。

 しかも、その東には駿河の今川氏、西には尾張国の織田氏という強力な勢力が控えていました。家康の父・松平広忠は今川氏を頼っていました。家康の母は、尾張国知多郡の豪族・水野忠政の娘(於大の方)。が、広忠は、忠政後継の水野信元が尾張の織田信秀(信長の父)につくと、今川氏との関係もあり、於大を離縁してしまうのです(忠政は1543年死去)。家康は幼くして、実母と別れる不運に見舞われるのでした。

※参考:松平と水野の関係略系図(戦ヒス編集部作成)。松平が今川方、水野が織田方になったため、家康の両親は別れることに…。
※参考:松平と水野の関係略系図(戦ヒス編集部作成)。松平が今川方、水野が織田方になったため、家康の両親は別れることに…。

 天文16年(1547)、岡崎城の松平広忠は、尾張の織田信秀に攻撃され、降伏。幼い家康(幼名は竹千代)は人質として、織田に差し出されることになるのです。この織田人質時代に、家康は織田信長と出会ったようにドラマなどでは描かれますが、2人がこの時に出会ったとする確証はありません。ドラマとしては、少年時代に出会ったとする方が劇的ではあるでしょうが。

 一時、織田方に付いた松平広忠ですが、今川軍の侵攻などもあり、翌年には再び今川に属するようになったと考えられています。

 天文18年(1548)は、松平家にとり、激変の年でした。この年の3月に、当主・松平広忠が世を去ったのです。家臣の岩松八弥に刺殺されたとも言われていますが、病で亡くなったという説もあります。広忠死去を受けて、今川方は三河に軍勢を派遣。安城城を攻め、織田信広(信秀の子)を生捕りにします。今川方の捕虜となった信広と、織田の人質になっていた家康の「人質交換」がここで成立するのです。

 ところが、家康は岡崎城に留まることはできず、駿府へと送られます。こうして家康の「駿府人質時代」が始まるのです。こうした経緯を見ていくと、少年・家康にとって三河・岡崎は余り馴染みのある場所ではなかったことが分かります。今回の「どうする家康」でも、家康のそういった心情(駿府の方が好きで、三河はちょっと・・)が描かれていたように思います。

 駿府にいた若き家康は、今川から邪険に扱われていた訳ではなく、前述のように、今川の一門衆の娘と結婚しているように、優遇されていました。桶狭間の戦いで今川義元が戦死しなければ、家康は今川の一門衆として、義元やその後継・今川氏真を支える重臣として活躍していたでしょう。そうした意味で、永禄3年(1560)5月の桶狭間の合戦は、家康の人生の転機の1つとなりました。

 「どうする家康」で今川義元を演じた野村萬斎さん、さすがの貫禄でした。桶狭間での謡いも素晴らしく、初回で退場されてしまうのが、本当に惜しい気持ちです。萬斎さんは、日野富子を描いた大河ドラマ「花の乱」(1994年放送)では、有力守護大名の細川勝元を演じていましたが、それ以来の大河出演。回想でも良いので、義元の再登場を希望します。桶狭間の戦いの際、家康は義元の本陣側にはおらず、兵糧入れを果たして、大高城(名古屋市緑区)におりました。そんな、家康のもとに義元戦死の報が届くのです。まさに「どうする家康?」という事態が現出したのでした。

 家康は、今回のドラマでは、戦場から逃げ回り、家臣(本多忠勝)からも軽蔑される情けない「大将」として描かれていますが、実際にはそうしたことはありませんでした。「どうする家康」初回は、合戦シーンでもCGが多用されていましたが、(約20年以上、大河を見続けてきた身としては)できればそうしたCGを多用せずに、昔の大河のように描いて欲しいなと感じました。私も年をとったということでしょうか(笑)

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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