【家紋】軍神・上杉謙信の家紋は意外にもカワイかった?上杉家の「竹に雀」
- 2019/10/29
生涯の戦において九割を超える勝率を数えつつも、一説には私欲のための侵略をすることがなかったといわれる「上杉謙信」。「越後の龍」の異名でも親しまれ、その武勇を義のために振るったとして高い人気を誇る武将です。同時代を生きた「甲斐の虎」こと武田信玄と対比して語られることも多く、越後国の産業を活性化させ内政にも手腕を発揮した名君として今なお敬愛され続けています。
上杉氏は、本来鎌倉公方を補佐する役であった「関東管領(かんとうかんれい)」(創設当初は関東執事)の職を代々世襲しており、謙信は事実上最後の関東管領でもありました。そういった立場からも室町幕府・将軍家・朝廷ともかかわりの深い家柄であり、一地方領主という枠組みでは語れないステータスを有しています。
今回はそんな謙信を代表する、上杉家の家紋についてのお話です。
上杉氏は、本来鎌倉公方を補佐する役であった「関東管領(かんとうかんれい)」(創設当初は関東執事)の職を代々世襲しており、謙信は事実上最後の関東管領でもありました。そういった立場からも室町幕府・将軍家・朝廷ともかかわりの深い家柄であり、一地方領主という枠組みでは語れないステータスを有しています。
今回はそんな謙信を代表する、上杉家の家紋についてのお話です。
名乗りとともに変わった謙信の家紋
上杉家の歴史を語るうえで外せない代表格の謙信ですが、その来歴は単純ではありません。まずは謙信のプロフィールを、少しひも解いてみましょう。謙信はその生涯において、幾度も名前を変えていることが知られています。当時の武将の慣例としては珍しいことではありませんが、氏そのものも変わっているため使用した家紋にも差異が生じています。
謙信は当初、上杉ではなく「長尾」を名乗っていました。長尾氏は越後国守護代であり、そのうち「三条長尾家」と呼ばれる家に生を受けました。上杉家は直接の主君にあたり、謙信は国内の紛争を制圧しつつ上杉家の養子となることでその家督を譲り受けたのです。
当初「長尾景虎」と名乗った謙信は「上杉政虎」「上杉輝虎」とその時に応じて主君や将軍から拝領した一文字を用いて名を変え、現在知るところの「上杉謙信」へと至ります。「謙信」は法号、つまり出家したことによる僧侶としての名であり、これがもっとも有名な通り名となっています。
本来は「長尾」であった謙信は、元々は長尾氏の紋である「九曜」を用いていました。九曜とは大きめの丸の周囲に八つの丸を配置したマークで、天体に由来する意匠です。現在でも日曜から土曜までの日・月・火・水・木・金・土を「七曜」と呼びますが、これに「計都(けいと)」と「羅睺(らごう)」という星を加えたものが九曜にあたり、星を神格化したものと伝わっています。
長尾姓時代の謙信は、この九曜紋の丸の一つ一つを「巴」の意匠に置き換えた「九曜巴」を用いていたとされています。
巴紋は現在でも太鼓の皮の表面などに描かれているのを見ることができますが、武神である「八幡」の神紋として広く知られています。八幡神は武士によって篤く尊崇されてきた経緯もあり、この巴で構成された九曜の紋は実に武将らしいエンブレムであるといえるでしょう。
一方、上杉の家督を継いだ後は上杉氏に伝わる家紋である「竹に雀」を使用しています。これは特に「上杉笹」とも呼ばれ、存外にかわいらしいデザインとして印象付けられます。
実は上杉氏は仙台伊達氏と縁戚関係にあり、伊達政宗の三代前にあたる時代には上杉家の姫が伊達家に輿入れをしています。その時にもたらされたと考えられる「竹に雀」の紋が伊達氏でも用いられるようになり、「仙台笹」という独自デザインで伊達氏の定紋となった経緯があります。
「竹に雀」は元来、公家の紋だった?
一見武将らしくないようなかわいらしい「竹に雀」紋の由来は、上杉家の源流をたどると腑に落ちるかもしれません。上杉家の祖先は「藤原氏」であり、そのうち藤原北家の「勧修寺(かじゅうじ)流」という公家の一族を始祖としています。その勧修寺家が用いていた紋が「竹に雀」であり、上杉氏はデザインに変更を加えつつもその伝統を受け継いだようです。
「毘」の文字は家紋ではない?
上杉謙信といえば「軍神」とも称されるほどの戦巧者として有名ですが、信心も篤く特に「毘沙門天」を自身の守護として信仰していたことはよく知られています。戦の折には「毘」の一字をあしらった旗をなびかせたイメージがありますが、こちらを家紋だと思われる方も多いようですね。「毘」の文字は家紋ではなく、戦陣で部隊や家中の識別表となる「陣旗」として使用されたものです。
毘沙門天は大陸風の甲冑をまとった武人の姿で表される仏尊で、武威によって強力に仏法を守護するという役割を担っています。まさしく、謙信の求める守護神の姿であったのでしょう。
おわりに
上杉謙信は戦国期を代表する名将の一人でありながら、ついに「天下人」への野心をあらわにしなかった稀有な人物として捉えられています。現実の戦では理想論が通じないことの方が多かったのかもしれませんが、謙信が秩序と平和の維持を強く願っていたであろうことはその記録から十分に推し量ることができます。そんな謙信が継いだ上杉家だからこそ、「竹に雀」の一見牧歌的な家紋にも、ある種の凄みを感じさせはしないでしょうか?
【参考文献】
- 『見聞諸家紋』 室町時代 (新日本古典籍データベースより)
- 「日本の家紋」『家政研究 15』 奥平志づ江 1983 文教大学女子短期大学部家政科
- 「「見聞諸家紋」群の系譜」『弘前大学國史研究 99』 秋田四郎 1995 弘前大学國史研究会
- 『日本史諸家系図人名辞典』 監修:小和田哲男 2003 講談社
- 『戦国武将100家紋・旗・馬印FILE』大野信長 2009 学研
- 『歴史人 別冊 完全保存版 戦国武将の家紋の真実』 2014 KKベストセラーズ
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