「光る君へ」紫式部はいつ頃、なぜ『源氏物語』を書き始めたのか?
- 2024/08/19
大河ドラマ「光る君へ」第31回は「月の下で」。
主人公・まひろ(紫式部)が物語を書き始めましたが、紫式部の著作と言えば大作『源氏物語』(以下、同書と記述することあり)が有名です。しかし、その『源氏物語』がいつ頃から書かれ始めたのか、なぜ式部は物語を執筆したのかという事ははっきりとは分かっていません。
同書の起筆時期については、夫・藤原宣孝の結婚以前(もしくは結婚生活中)、宣孝の死後(藤原道長の娘・彰子に出仕以前)、宮仕え以後という3つに大別されてきました。あれほどの大作を書き上げた式部ですので、結婚以前にも何らかの物語を書いていたことは想像できます。しかし、それが『源氏物語』に関連するものかと言えば、疑問視されているのです。
『紫式部日記』には、夫・宣孝の死後数年、悲しみや不安な想いに苛まれつつも、知人と物語について話したり、手紙のやり取りをしたり、物語を書いたりという式部の日常生活の一側面が記されています。よって、文献から確認できるところでは、式部は夫の死後に物語を書き始めたとみて良いでしょう。それが『源氏物語』に繋がっていくと推定されるのです。
では、式部はなぜ物語を書き始めたのでしょうか。これまた式部の日記からその動機を探るとすると、夫の死後、未亡人となったその寂しさや不安などを埋め合わせるためと推測されます。式部は夫の死後「数年来、無聊な物思いに明け暮れ」していました。季節の移り変わりでさえ、例えば花や月光などを見て、ようやく気が付くと言う状態だったのです。そして自らの行く末を案じる式部。そうした記述の後に知人と「物語について語り合っていた」「物語を書いていた」等の文章が来るのです。
「紫式部が徒然の慰めとして、とりとめのない作り物語を書きはじめたとも思えない」(倉本一宏『紫式部と藤原道長』講談社、2023年)との見解もありますが、筆者は式部の日記から、日々の慰めに物語を書いていたように感じるのです。
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
コメント欄