「光る君へ」『栄花物語』から見る花山天皇の藤原忯子への一途な愛とは?

「光る君へ」の第8話タイトル「招かれざる者」というのは藤原道兼のこと
「光る君へ」の第8話タイトル「招かれざる者」というのは藤原道兼のこと

 大河ドラマ「光る君へ」第8回目は「招かれざる者」。花山天皇の女御として入内した藤原為光の娘(藤原忯子)は、天皇から寵愛を受け、その子を身籠るも、病のため急死してしまいます(985年7月)。

 天皇は悲しみの余り、お引き籠りになり、声を惜しまずお嘆きになったそうです(平安時代後期の歴史物語『栄花物語』)。 忯子の父・為光の嘆きも相当なもので

「宮中から退出する際には、皇后として宮門を出入りする様を拝見したいと思っていたのに」

と泣いたとのこと。天皇は、日頃から気に入っている殿上人や公卿を、忯子の葬送の供奉にお付けになりました。

 天皇は、忯子の葬送にお臨みになることはできませんが、その事を深く哀しまれ、葬送の日の夜は、お休みにもならないで、亡き忯子のことを偲ばれたそうです。葬送の際、忯子の父・為光は、娘の棺の後ろを歩いていたのですが、その様は、今にも倒れはせぬかと危ぶまれるほどのものだったといいます。

 忯子が亡くなってからというもの、天皇は物忌(神事や凶事にあたって一定期間、禁忌を守り身を慎むこと)がちに過ごされていたということです。そのような時、天皇は、世間の人々(女性)が、道心(仏教を信じる心。出家者となって修行に励む心)をおこして、尼になっているとの話をお聞きになります。

 天皇は忯子のことを再びお嘆きになり

「忯子は深い罪障(往生の妨げとなる罪業)のため苦しんでいるかもしれぬ。懐妊したまま死ぬことは、罪障が深いと聞いている。どうにかして、その罪障を消してやりたい」

と仰せになったということです。

 その後、天皇は御心が落ち着かれぬご様子だったといいます。そのご様子を関白・藤原頼忠や、天皇の外叔父・藤原義懐も心配していたとのことです。

 『栄花物語』における花山天皇の忯子にまつわる逸話を見ると、天皇の一途な想いというものがよく分かります。大河ドラマ「光る君へ」においても、天皇の忯子への寵愛を女房たちの噂話(「弘徽殿の女御様、どこがお悪いの?」「帝のご寵愛が過ぎるのよ」「女冥利に尽きるじゃない」「愛でられすぎて倒れるなんてお気の毒」「お幸せ」)で表現していましたが、『栄花物語』の花山天皇の言動からも寵愛振りが窺えます。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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