「光る君へ」花山天皇が愛した女性たち ─姚子と忯子─

 大河ドラマ「光る君へ」第7話は「おかしきことこそ」。花山天皇(演・本郷奏多)が寵愛していた藤原忯子(しし。演・井上咲楽)が妊娠に伴い、母子共に亡くなる様が描かれていました。

 花山天皇は永観2年(984)に即位されたのですが、その時、16歳でした。花山天皇の女御(皇后・中宮に次ぐ位)は忯子だけではありません。関白・藤原頼忠の娘(藤原諟子)や、為平親王(村上天皇の第4皇子)の娘(婉子女王)、藤原朝光の娘(藤原姚子)も天皇の女御となったのです。朝光の娘(藤原姚子)は、それ以前に入内した女性たちと比べて、当初、帝の寵愛が特に深かったと『栄花物語』(平安時代後期の歴史物語)にはあります。

 ところが、暫く経つと、その寵愛も著しく減退。花山天皇の手紙さえ来なくなり、1・2ヶ月が過ぎていくという有様でした。父・朝光も宮中へ参内するのが心苦しいということで邸に引き籠っていたそうです。そうした状況でしたので、寵愛を失くした藤原姚子は宮中を去ることになります。

 一方、花山天皇は他のしかるべき家の娘を入内させようと躍起になっていたとのこと。その中の1人が藤原為光の娘・藤原忯子でした。為光は娘を入内させることを最初は躊躇したようですが、頻りの催促に根負けして入内させたということです。当初は、忯子への帝の寵愛がどれだけ続くかと危ぶむ声もありましたが、花山天皇の忯子への愛は途切れることはありませんでした。忯子に懐妊の兆候が見られるとそれは一層深くなりました。

 忯子は妊娠後は里邸(実家)ですぐにでも過ごそうと考えていましたが、帝の引き留めにより延期となってしまったことも、花山天皇の忯子への想いというものを示しているでしょう。ところが、妊娠した忯子の体調は悪化。実家に帰ってからでも、食べ物を殆ど摂れないという状態に陥ります。哀れにも痩せ衰える一方となってしまうのです。帝は忯子の体調を案じると共に、恋しくも思われて、忯子に宮中に来るよう求めるのでした。

 忯子は帝の要請に応えて、宮中に参上します。病によって以前とは容貌も変わっていましたが、それでも花山天皇は忯子を大事にして、自分のもとから離そうとしませんでした。が、「宮中では十分な休養もなりません」という為光の言葉によって、泣く泣く忯子を実家に返すのです。それから暫くして、忯子は亡くなります(985年7月)。最愛の女性の死に花山天皇は声を上げて嘆いたそうです(『栄花物語』)。

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  この記事を書いた人
濱田浩一郎 さん
はまだ・こういちろう。歴史学者、作家、評論家。1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。 著書『播 ...

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