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【史跡散策】福岡藩黒田氏の居城・福岡城跡に行ってきました!(前編)
- 2023/10/23
福岡城といえば、江戸時代初期に戦国武将の黒田孝高・長政父子が築いた城で、明治まで福岡藩黒田氏が居城とした城で知られています。
そんな福岡城に先日、よく晴れた秋の日曜日に出掛けてきましたので、本記事でレポートしたいと思います。
そんな福岡城に先日、よく晴れた秋の日曜日に出掛けてきましたので、本記事でレポートしたいと思います。
今回の散策ポイント
福岡市の中心地のひとつ、天神から福岡城跡まではバスで行くことができますが、今回は徒歩で向かいました。福岡城跡は舞鶴公園の中にありますが、とにかく敷地がだだっ広いんです。たくさんの見どころがありますが、残念ながらゆっくり全部はまわれませんでした。
以下の地図は、今回ご紹介する散策ポイントです。
福岡城跡堀石垣
赤坂駅(赤坂の交差点)から少し西に進むと、お堀が始まります。季節が来れば銀杏が見事な美しい道です。ランニングコースやお散歩コースとして市民にも親しまれていますね。 そしてお堀が始まってすぐのところには地下への入り口があります。史跡「福岡城跡堀石垣」との表記がありますね。福岡市民にも意外と認識されていないこの施設。実は福岡城外堀の石垣が見学できる場所なのです。
階段から地下に降りていくと、小さな空間ながら、石垣をリアルに間近に見ることができます。管理人さんも説明をしてくれますよ!なお、公開は土日のみですので、見学したい方は注意してくださいね。
上之橋御門跡
さて、さらに西へ進み、上之橋から城跡の中へ入っていきましょう。入ってすぐの上之橋御門は城主が参勤交代の時などに使用した、格式の高い門だったそうです。鴻臚館広場(旧平和台球場跡地)
この坂を登るとかつては、西鉄ライオンズなどの本拠地だった平和台球場がありました。1987年(昭和62年)に、外野席の改修工事の際に遺構が発見されたのが鴻臚館(こうろかん)です。鴻臚館とは、飛鳥・奈良・平安時代の外交施設で、迎賓館として、また、遣唐使などの宿泊施設として使われたものだそうです。発掘調査は現在も続けられており、数多くの出土品が見られるそう。平和台球場跡地は今は鴻臚館広場となり、広場の奥には「鴻臚館跡展示館」も建っています。
鴻臚館広場の脇には入場無料の「福岡城むかし探訪館」があります。小さい建物ですが、展示パネル、福岡城のCG再現、福岡城再現模型などを備えていますね。
東御門跡~二の丸跡ほか
鴻臚館広場を行き過ぎると、東御門跡に着きました。東御門とは二の丸に入るための主要な門だったそうです。石段をゆっくりと登ります。 ここから先は、案内板も少なくてやや迷い気味。スマホで位置を確認したり、きょろきょろしたりしながらなだらかな上りを進んでいきます。
(以下、後編に続く)
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