法隆寺五重塔はなぜ倒れない? 東京スカイツリーに通じる古代のテクノロジーとは

 聖徳太子が推古15年(607)に創建した法隆寺五重塔。現存するのは、天智9年(687)に焼失の後、再建されたものといわれています。以来1300年の間、世界最古の木造建築として当時のままの姿を今日に伝えているのはよく知られている通り。

 地震国・日本で多くの大地震に遭いながら五重塔が倒壊しなかったのはなぜなのか? その答えは東京スカイツリーに通じる古代のテクノロジーにありました。

現代の超高層塔・東京スカイツリー

 平成24年(2012)の開業以来、東京スカイツリー(東京・墨田区)には観光客をはじめ、多くの人々が訪れています。完成当時は世界一高い構造物であり、鉄塔としては現在も世界一の高さです(634メートル)。7月に開催される隅田川花火大会の花火は約300メートルの位置に打ち上げられるため、観光客が登れる350メートルの展望デッキからは花火を見下ろすことになるのだとか。

 そんな現代の超高層塔・スカイツリーには最新の地震対策が施されています。「心柱制振」と名付けられた揺れを制御するシステムは、建設途中の平成23年(2011)3月11日の東日本大震災の際にも大いに力を発揮し、「作業員、建物、ともに被害は一切なかった」(運営会社・東武タワースカイツリー)といいます。

 当日の東京都墨田区は震度5強の揺れでした。この「心柱(しんばしら)」による制振こそ、世界最古の木造建築である法隆寺五重塔をはじめとする木造の多層塔(以下、木塔)に用いられてきた日本独自の技術なのです。

 正確に言うと、スカイツリーに採用された制振技術は、質量付加機構という難しい名前の技術を応用したものであり、法隆寺五重塔から直接ヒントを得たわけではないそうですが、非常によく似たシステム・考え方であるとして「心柱」の名がつけられました。

飛鳥文化の中心・法隆寺

 ここで、法隆寺について簡単におさらいしておきましょう。

 法隆寺は聖徳太子の父・用明天皇が自らの病気平癒を願って建立を計画し、聖徳太子と推古天皇が推古15年(607)に完成させたと言われています。

 大仏を造ったり、寺院を建立したり、都を移したり——。大掛かりな事業は病気平癒祈願のためによく行われていましたが、このときも同様だったようです。なお、用明天皇は法隆寺の完成を見ることなく、用明2年(587)にこの世を去っています。

 『日本書紀』によると、せっかく造った法隆寺は天智9年(670)、落雷による火災で一夜のうちに焼失。金堂や五重塔など現存する法隆寺の主な建物群である西院伽藍は、7世紀の終わりに再建されたようです。

 長い間、法隆寺は聖徳太子時代のオリジナルの建物と考えられていました。ところが明治中期に「法隆寺は再建された vs 再建されていない」論争が勃発。それから半世紀ほどが過ぎた昭和のはじめごろ、若草伽藍(現存する建物より古い遺構)が発見され、「再建された」ということでようやく決着がついたいきさつがあります。

100メートルの七重塔

 法隆寺五重塔などの現存する木塔、残念ながら失われてしまった木塔、両方を合わせると、歴史上、日本には1000基以上の木塔が存在していたようです。現存する木塔は五重塔と三重塔だけですが、かつては七重塔、九重塔、なんと十三重塔まであったとか。

 現在、もっとも高い木塔は京都の教王護国寺(東寺)の五重塔(54・8メートル)ですが、資料によると、かつて京都・白河の法勝寺には約80メートルの九重塔があり、聖武天皇の治世である天平年間(729〜749)には奈良の東大寺に約100メートルの七重塔が2基造られ、それから400年間、そこに立ち続けていたそうです。

 100メートルとは現代の我々から見ても想像を絶する高さですが、七重塔を直接見た当時の人々の驚きは大変なものだったに違いありません。失われてしまったのが本当に残念です。他にも50メートルを越える木塔がいくつも存在し、そのすべてが地震による倒壊を免れていたそうですから、心柱による制振の高性能ぶりがうかがえますね。

五重塔の構造と心柱のはたらき

 五重塔は一層ずつ「積み重ねた」構造で、各層はそれぞれ独立しています。心柱は塔中心の吹き抜けに立てられ、塔本体とは屋根の部分で接しているだけ。つまり、大黒柱であるにもかかわらず塔全体の重さをまったく支えていないことになります。

 また、塔本体には各層を貫く「通し柱」もありません。4本の四天柱と12本の側柱が最下層で1200トン(法隆寺五重塔)といわれる荷重を支えています。重ねただけの各層と心柱がそれぞれ独立した動きをすることで、地震による建物全体の揺れを制御する。これが心柱による制振の大雑把な仕組みです。

 寺院建築は仏教とともに中国から伝わりましたが、中国の塔に心柱はありません。心柱を使う制振は日本で生まれた独自の技術です。現代の最新の制振技術と同等のものが計算機もコンピューターもない1300年前の日本ですでに開発されていたとは……古代のエンジニアの能力は一体どれほど優れていたのでしょうか。

 なお、現在は2階建以上の木造の建物には通し柱を設置することが法律で定められています。この基準に照らすと、木造の五重塔は違法建築になるため建築許可が下りないのだとか。実際に倒れていないのに違法建築というのもなんだかおかしな話ですね。

心柱の実力

 東大の地震学者・大森房吉教授は大正9年(1920)に発表した研究の中で、五重塔を倒せる規模の地震は存在しないと結論を出しています。事実、平成7年(1995)の阪神淡路大震災でも、大正12年(1923)の関東大震災でも、木塔は倒れませんでした。

 古来、木塔が失われた原因は落雷・火災・放火などによる焼失、あるいは廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のような人為的破壊であり、地震による倒壊はないと言われています。

 東大寺七重塔、法勝寺九重塔があったころ、関西地域を襲ったマグニチュード6以上の地震は約20回だそうですが、どちらの塔も地震で倒れることはありませんでした。鴨長明の『方丈記』によると、文治元年(1185)の大地震で京都・白河は大変な被害を受け、法勝寺も塀・回廊・阿弥陀堂などが大破しましたが、九重塔は無傷ではなかったものの倒れることはなかったそうです。

 この事実は、大森房吉教授の説が正しいことを裏付け、心柱による制振の優れた機能を証明しているのではないでしょうか。

終わりに

 五重塔がなぜ倒れないのかをお話ししてきました。

 実のところ、なぜ倒れないのか、その理由は100%解明されていないそうです。飛行機が飛ぶ理由の3%ぐらいはいまだにわからないのと同じように、五重塔がなぜ倒れないのか、その理由が完全に明らかになるには、もうしばらく時間がかかるのかもしれません。


【主な参考文献】

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戦ヒス編集部 さん
戦国ヒストリーの編集部アカウントです。編集部でも記事の企画・執筆を行なっています。

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