「針供養」江戸時代から続く行事。その由来は和歌山の淡嶋信仰にあった!
- 2023/03/16
学校の家庭科の時間に習った裁縫。小さい針の穴に糸を通すのが難しかったことを覚えています。不器用でもできあがった巾着袋は嬉しかったです。裁縫は素晴らしい技術ですね。
江戸時代から続く風習に「針供養(はりくよう)」という日があります。使えなくなった針に感謝し弔う行事です。針供養にどんな思いが込められていたか、その背景を含め、探ってみましょう。
江戸時代から続く風習に「針供養(はりくよう)」という日があります。使えなくなった針に感謝し弔う行事です。針供養にどんな思いが込められていたか、その背景を含め、探ってみましょう。
針供養とは
針供養は、一年間使って折れた針や錆びた針を、全国各地の神社などに持って行き、供養する風習です。主にこんにゃくや豆腐に針を刺します。食べ物に針を刺すなんて驚きますが、その理由は今まで堅い布ばかりに刺してきた針を、最期はやわらかい所で休んでもらいたいということのようです。心温まる風習ですね。
針供養は関西、九州では12月8日、関東では2月8日に行われる傾向があります。発祥とされる淡嶋神社(和歌山市)では2月8日です。
東京の浅草寺にある淡島堂では、2月8日に針供養会が行われます。もちろん、縫い針限定のようです。医療用針は受け付けません。立派な「魂針供養之塔」もあります。浅草寺では大きな豆腐に針を刺し祈ります。愛着ある針を皆さん心から弔うのでしょう。
針供養の由来 ~淡嶋信仰~
針供養は和歌山県の淡嶋神社(和歌山市加太)から始まったと言われています。御祭神・少彦名命(すくなひこなのみこと)は婦人病や安産・子授けの医薬の神様でした。女性の味方だったのですね。淡嶋神社は、全国にある淡島神社・粟島神社・淡路神社の総本社です。江戸中期に「淡島願人」が諸国を回り、淡島様の功徳を説きながら針供養の風習も伝えたのが、始まりと言われています。
では、淡嶋神社と針供養の結びつきはどんな理由からなのでしょうか。以下2つの伝承があるようです。
- 淡嶋神社の少彦名命が裁縫の道を始めて教えた神であるという説
- 淡嶋神社の祭神が女性の救済神である婆利才女(はりさいじょ)であり、名前に「はり」がつくことに引っ掛けてという説
針供養への思い
裁縫というと、「良妻賢母」という今では少し懐かしい言葉を思い出してしまいます。かつて、針仕事は女性のたしなみであり、良妻賢母になるための必修スキルでした。少女たちは上手くなれるよう一生懸命励んだことでしょう。当然、裁縫箱は嫁入道具でした。岡本かの子(1889~1938)著の「希望草紙・随筆感想」に、針供養について書いてあるので抜粋します。岡本かの子は大正・昭和の小説家、歌人、仏教研究科です。また芸術家の岡本太郎の母でもあります。
(難しい言葉は現代語で書きます)
「こどもの時分に祖母が淡島さまの針供養へお詣りに連れて行つてくれた。この日は兼て一家中の女の使つた針の折れを集めて置いたものを携へて行つて納めるものである。お宮は淡島神社であった。
家族の寒からぬやう着物を縫ふときに主婦がいのちの武器と頼む針である。良人の帰りを待ち侘びる火影の下の妻には慰めの友ともなる針、一つ身の背丈を縫い伸ばす母には愛の指先ともなる針はつ針の意気込み、仕立てあげたとぢ針のうれしさ。女ごころは針に徹るまで染む。さういふ部類をたとへ折れ傷きて不用となるともむざむざ捨て放つは悼ましい氣がするのが日本女性の常である。」
家族が寒くないように着物を縫う主婦にとって、針はかけがえのないものだったのですね。戦争に行った夫や息子を待つ切なさを、針は友となって慰めてくれたかもしれません。また、背の伸びた子の裾を丁度良く合わせることは母としての喜びだったのでしょう。仕上げの一針を縫う時の達成感は大きかったと思われます。
かの子は針供養を行う日本女性のことをこう書いてあります。
「またそこに勤労を助けたものは器類たりとて感謝の意を表する日本女性の感情の折目正しさも現れている。また、散逸しては危ない折れ針を一緒に集める工夫もこの催しには混じっているのかもしれない」
日々、裁縫を助けてくれた針に感謝をする礼儀正しさと工夫を持っているのが日本女性であると伝えています。
また、俳人 高浜虚子(1874~1954)は
町娘笑みかはし行く針供養
と詠みました。町娘たちにとっては、針供養も心躍るイベントの一つだったのかもしれません。お裁縫がうまくなるようにお友達と祈ったことでしょう。
おわりに
他にも道具に対する供養はいろいろあります。例えば茶道では「茶筅(ちゃせん)供養」という行事があるそうです。茶筅は抹茶をシャカシャカ泡立てる大事な道具です。茶人の手に合った茶筅が美味しいお点前を生み出すのでしょう。
道具には魂が宿るという古くからの教えですね。私たちの仕事や家庭の中にも人それぞれの大切な道具はたくさんあります。愛着はあっても形ある物にはいつか終わりがきてしまいます。その時は感謝を込めてお別れしたいものです。
私の場合、毎日台所で使うフライパンが仲良しの道具なので「フライパン供養」があればいいのにと思ってしまいました。
【主な参考文献】
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