※ この記事はユーザー投稿です

陰陽師・安倍晴明の母はどんな人?信太森葛葉稲荷神社を巡り、その謎を探る

 陰陽師・安倍晴明にまつわる伝説は数々あります。陰陽師・安倍晴明は有名ですが、その家族までどんな人だったのかは知らないという人は多いかもしれません。

 なぜ安倍晴明が陰陽師なのか、その特殊能力を何故持つようになったのか。その秘密はもしかしたら安倍晴明の母に関係しているかもしれません。今回はその謎について探っていきたいと思います。

安倍晴明の出生の秘密

 安倍晴明の家族に関する話は、事実とフィクションが入り乱れています。

 まず史実では、安倍晴明の系譜は不詳となっており、大膳大夫・安倍益材(あべのますき)の子という話や阿倍仲麻呂の子孫であるという話があるそうですが、定かではありません。しかし通説では安倍晴明の父は安倍保名という人物で、母は狐であるとする異類婚姻譚が今では広く信じられています。

 これは中世末期に成立した『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』という陰陽道の注釈書に由来したもので、伝説の一種であるそう。その中に、安倍晴明が人間の父と狐の母の間に生まれたという記述があります。これをもとに古浄瑠璃(こじょうるり)「しのだづま」がつくられ、「安倍晴明の母は狐である」という説が広まったと言われています。

安倍晴明はどんな活躍をした人?

 安倍晴明は921年に生まれました。幼少の頃から陰陽師であった賀茂忠行・保憲父子について陰陽道を学び、天文道を伝授されたといいます。

 その後安倍晴明は出世は遅かったものの、40歳の時には村上天皇に占いを命ぜられたりと順調に出世していることがわかります。その後、陰陽師から陰陽少属に昇進、また天文博士の兼任もしながら、位を挙げていきました。59歳の時には後の花山天皇に命じられ那智の天狗を封じたと言われており、安倍晴明の功績の中でも有名なエピソードとして知られています。

安倍晴明の母のエピソード

 安倍晴明の母と言われる狐はどんな伝説なのか、少しご紹介したいと思います。古浄瑠璃(こじょうるり)「しのだづま」からきた伝説の話です。

 村上天皇の時代、安倍保名という人物が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を見つけて助けてやります。しかしその際にけがをしてしまいました。そこに葛の葉という女性がやってきて、けがをした安倍保名を介抱して、何度も見舞うことに。いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうけます。しかし、童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることがばれてしまいました。

葛の葉は、

「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」

という句を残し、信太の森に帰ってしまいます。この葛の葉の子・童子丸が、のちの安倍晴明だといいます。

信太森神社に残る伝説を記したもの。和泉市が公認で建てている看板です
信太森神社に残る伝説を記したもの。和泉市が公認で建てている看板です

 この後安倍晴明が出世していくエピソードなどもあるのですが、今回は割愛します。

信太森神社

信太森神社には不思議な力があるのかもしれません
信太森神社には不思議な力があるのかもしれません

 実際にその伝説の残る神社は実在します。正式には「信太森神社」 通称「葛葉稲荷神社」。708年に建てられたという歴史ある神社です。

 境内には安倍保名と葛の葉の伝説が残り、言い伝えられています。 しかし古い文章からはこの伝説の前から信太の森には古狐がいるという伝承があったと考えられているそう。

 そもそもこちらに祀られている信太明神は、狐を使役する神であったことから、平安時代末期に信太明神と呼ばれるようになったそうです。どこで安倍晴明の話が組み込まれたかはわかりませんが、古い伝承と確かな事実がどこかで入り組んでしまったのかもしれません。

おわりに

 安倍晴明の伝説についてお伝えしてきました。

 信太森神社は現在も参拝可能なので、安倍晴明のファンの方は一度チェックしてみてはいかがでしょうか。他にも大阪や京都に安倍晴明の伝説の残る場所が多くあります。不思議な力を感じるために、パワースポット巡りもおすすめです!

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
ゆかた さん

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。