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戦後の東京アンダーグラウンド

盛り場イメージ
盛り場イメージ
 戦後、大型キャバレー「ハリウッド」など、数々のキャバレーを経営し、「キャバレー王」と異名をとった実業家・福富太郎。彼はキャバレーで儲けたお金と情熱を絵画収集にかたむけ、コレクターとしても昭和の美術史に名を残しました。

 そんな福富太郎氏が著書『わが青春の「盛り場」物語』で語った戦後の盛り場の様子。それはまさに、無法地帯でした。戦後の盛り場では蠱惑(こわく)的で暴力が支配する、アンダーグラウンドの世界が繰り広げられていたのです。

無法地帯だった東京の盛り場

 戦後の混乱期の日本、特に盛り場は、今では考えられないような無法地帯でした。老舗や一流店の並ぶ銀座にすら、進駐軍用のPX(ピーエックス 食品・生活用品)があり、RAA(性的奉仕施設)があったのですから。

 今でこそゲイタウンとして有名な新宿二丁目ですが、戦後は人気の赤線地帯(公認の売春地域)でした。二丁目は他の遊郭と違い、都会的で女性も施設もあか抜けていて人気があったのだとか。

 また、上野は公園周辺に浮浪者と男娼が多く、お忍びで視察に来た警察署長が男娼に殴られるといった事件も起きています。

 男娼の中には戦前、近衛兵だったものもいたそうです。当時の近衛兵はイケメンの兵士が選抜されていましたし、軍隊で男色を覚えた人も多かったのだとか。

麻薬イメージ
麻薬イメージ

ケンカと麻薬と賭け事と

 戦後の盛り場では麻薬(ヒロポン)売買、ヤクザとのケンカ、道ばたでの賭博が日常茶飯事だったそう。

 なにせ、警察が呼んでも来ないという有り様なのだとか。その頃は治安も悪く、警察も「盛り場のケンカは自分たちでなんとかしろ」というのです。

 また、殺人事件や抗争もひんぱんで、華僑のギャングが警察署を襲撃(!)するなど、まるで映画のような事件が日常的に起こっていたのは驚きです。

戦後食糧難イメージ
戦後食糧難イメージ

闇市と謎肉

 戦後、主要な街には「闇市」が立ち並び、正規ルートでは買えない商品が出回っていました。「闇市」では米軍払い下げの商品や残飯から作った怪しげな食べ物が売られ、それがなんの肉なのかわからないのです。

 映画『この世界の片隅に』でも、戦後の闇市で食べた雑炊の中にたばこの紙が入っていた、というエピソードが描かれていました。

 戦後の食糧難では、馬やうさぎ、猫や犬の肉まで使っていたそうです。また、闇市の運営でのし上がった者たちは、その後裏社会や実業界で活躍していきました。

盛り場の女性イメージ
盛り場の女性イメージ

したたかな戦後の女たち

「戦後、強くなったのは女とストッキングである」と言われますが、キャバレーやダンスホールに務める女性たちはみな、魅力的でしたたかです。

 家出の末に女郎屋に売られ、米兵のオンリー(一人を相手とした売春婦)になったものの、過去を物ともせず、その魅力から次々と男たちを手玉に取った「魔性の女」や、戦前、上海や満州で活躍した、たくましいダンサーたち。

 戦後の自由な生き方を「アプレゲール」と言いますが、彼女たちはまさに、アプレな生き方を体現したのでしょう。

まとめ

 現在、盛り場だった都市は再開発や整備が進み、かつてのダークな印象は影を潜めてしまいました。裏側に生息していた人々は隠れ、表からは容易には見つかりません。

 だからこそ人は、かつての盛り場にノスタルジーを感じるのかもしれません。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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