※ この記事はユーザー投稿です

忘れさられつつある日本の暗黒の歴史 ヒロポン(覚せい剤)

 時折、誰かが覚せい剤取締法で逮捕されました、というニュースが流れます。ここでいう覚せい剤とはメタンフェタミンという物質で日本で発見され、結晶化に成功した物質のことです。今でこそ、覚せい剤の使用は法律で禁止されていますが、戦前~戦後すぐの期間、メタンフェタミンは日本中で販売され、使用されていたことをご存じでしょうか?

 商品名は「ヒロポン」。他の商品名もあるのですが、ヒロポンが最も売れていたので代名詞になっているのです。何故そんなことがまかり通っていたかというと、そこにはメタンフェタミンの持つ性質が大きく関わっていたからです。

 相当に恐ろしい物質であるメタンフェタミンについて解説してみましょう。

メタンフェタミンのもつ性質

 メタンフェタミンを服用すると、あら不思議。疲労や眠気を全く感じなくなってしまうのです。しかも最初のうちはメタンフェタミンが切れることによる離脱症状もあまり感じないので「こりゃ便利な薬だ」ということで売りだされました。労働者は商品名「ヒロポン」を飲めば、50時間以上の連続労働が可能だったため、えらく生産効率が上がったため「労働薬」とも呼ばれました。

 さらに、ヒロポンは一種の高揚感も味わえ、かつ食欲が大きく減退するので、ご飯を食べさせる必要も無くなります。つまり「労働させる側」にとって都合の良いことばかりだったのです。

 ヒロポンが日本中で使われるようになったのは、こういった理由がありました。これだけ都合の良い効能があったので、多少の副反応の問題など完全に無視されてしまった訳です。

 一般的に麻薬は「離脱症状」という、麻薬効果が切れると襲ってくる辛い症状で苦しむものですが、メタンフェタミンの場合、離脱症状が顕著に現れるのは服用し始めてから、およそ30か月後、と非常に遅いです。これが問題点に気付くことを遅らせました。メタンフェタミンの副反応は相当に恐ろしいもので、それはヘロインや阿片など足元にも及ばないものなのです。

日本におけるヒロポン乱用期

 ヒロポンが売りだされたのは昭和初期からですが、大量に生産され、使われ始めたのは第二次世界大戦がはじまってからです。

 その効用は労働者だけでなく、軍隊の兵士にも効果があったため、多くの国の兵士がヒロポンを飲んで戦っていたのです。特に日本では勤労動員という民間人を動員した強制労働が始まると、生産効率を上げるために乱用されました。

 製造も急ピッチで行なわれ、1945年8月に戦争が終わった後、あちこちに大量のヒロポンが貯蔵されており、それが市中に流出。戦争で軍隊に行った人、勤労動員でヒロポンを飲んでいた人達の多くは既に30か月という、メタンフェタミンの離脱症状が起こる時期を迎えていたので、高値で売られるようになりました。

 ヒロポンには錠剤と注射薬がありましたが、即効性のある注射薬の方が喜ばれました。製薬会社も注射薬を多く生産した結果、市中には大量のヒロポン注射薬のアンプルが出回り始めたのです。

ヒロポンの離脱症状

 麻薬の離脱症状は大きく分けて「精神的依存」と「身体的依存」に分けられます。

 阿片、ヘロインなどのオピオイド系麻薬の離脱症状は「身体的依存」が大きく、「風が吹いても痛い」と呼ばれるほど苦しい身体的離脱症状に襲われます。しかし精神的依存は強くなく、かつ脳に影響を及ぼさないので離脱症状さえ切り抜けてしまえば通常の生活に戻ることが可能です。

 しかし、メタンフェタミンであるヒロポンは血液脳関門と呼ばれる「脳へ行く関門」を簡単に通過してしまうので脳本体に影響を及ぼします。その結果、最初は不安、興奮、頭痛、不眠、振戦、動悸といった症状が現れ、やがて幻覚を見たり幻聴が聞こえるようになるのです。

 また、長期間の使用は食欲を著しく減退させ、睡眠も取らなくなるため、体が弱ってきて目の下にクマが出たり、栄養不足から顔が黒くなってきたりします。また、一定の姿勢を保持するのも辛くなるため「常に体のどこかを動かしている」多動性障害と言う症状も引き起こします。

 脳が一定レベルを超えた損傷を受けてしまっているケースでは、もはや治療は不可能なのです。よく芸能人で覚せい剤で逮捕された人が再犯を繰り返してそうしたケースに至っている場合、治療が不可能なため、刑務所に収監して数年間の遮断を行っても、治ることはありません。こうなると、もはや覚せい剤だけが「生きる道」です。つまりは廃人となってしまうのです。

 現在ではほとんどいなくなりましたが、医療刑務所と呼ばれる治療を行う刑務所が戦後混乱期のヒロポン中毒患者で溢れかえっていた時期があります。中には収監されて30年、40年というケースも珍しくありませんでした。重度のヒロポン中毒では、もはや社会復帰ができないので「死ぬまで収監しておく」しか手がなかったのです。

ヒロポンで命を縮めた有名人

 あまり知られておらず、公にもされていませんが、ある芸人さんが戦後の混乱期にヒロポンを覚えてしまい、それで命を縮めた芸能人を実名で挙げています。

https://www.youtube.com/watch?v=o4pN303HeJg

 作家のI氏は自ら「戦後の混乱期にヒロポンをよく使っており結構、重症だった」ことを告白しており、止めたあとでもナルコレプシーという睡眠障害に悩まされていることを述べています。また、I氏のエッセイでは自分がヒロポン中毒だった時の様子を克明に描写しているものがあり、それによると相当に壮絶なものだったことが分かります。幻覚、幻聴、興奮、記憶障害、が重なると、もはや手の付けられない状態になることがよく分かります。

 ヒロポン中毒は重度になる前に止めても、脳に何らかのダメージを与えてしまうので、止めた後でも何等かの症状が残ってしまうのです。I氏は60歳で心筋梗塞で死亡してしまいますが、少し早すぎる死でした。

 覚せい剤は日本発であり、戦時中に乱用されたことから現在でも日本は「世界一の覚せい剤市場」と呼ばれています。アメリカや欧州ではコカインやヘロインが主で、覚せい剤を使う人はあまりいないのです。

 コカインやヘロインは使うと「多幸感」というものが発生し、最終的には睡眠へと促します。それに対し、覚せい剤は「疲れや眠気がふっとび高揚感を感じる」という効果があります。アメリカや欧州ではこのような効果は、一般受けしないのです。それに対し「仕事最優先」と考える日本人の性質に合った麻薬、それが覚せい剤なのです。

 ちょっと悲しい国民性を感じてしまう話ではありますが、コカインやヘロインと違い覚せい剤は「どこにでもある原料」を元に作ることが出来るので反社会組織の中には海外に工場を持っている所もあると聞きます。「最初のうちは離脱症状が起きない」というのが覚せい剤のタチの悪いところで、「便利な薬だ」と思って使っていると確実に廃人になってゆく、それが覚せい剤なのです。

※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。

  この記事を書いた人
なのはなや さん
趣味で歴史を調べています。主に江戸時代~現代が中心です。記事はできるだけ信頼のおける資料に沿って調べてから投稿しておりますが、「もう確かめようがない」ことも沢山あり、推測するしかない部分もあります。その辺りは、そう記述するように心がけておりますのでご意見があればお寄せ下さい。

コメント欄

  • この記事に関するご感想、ご意見、ウンチク等をお寄せください。