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有名すぎる渋谷の忠犬ハチ公 その知られざる秘話とは

★渋谷駅前にある現在の忠犬ハチ公像
★渋谷駅前にある現在の忠犬ハチ公像
「忠犬ハチ公」といえば、渋谷の待ち合わせ場所として有名な犬の銅像です。

私たちがよく知る忠犬ハチ公(1923~1935)は「主人が亡くなった後も、駅で帰りを待ち続けた偉い犬」ですが、どうして「忠犬ハチ公」はこんなにも有名なのでしょう。

ハチの飼い主・上野英三郎博士とは

そもそも、ハチの飼い主であった上野博士とはどんな人物だったのでしょうか。

上野博士は当時の東京帝大、今の東京大学で農業土木を教えていた教授でした。農業土木とは、農地の整備や水路などのインフラ整備を行い、農地の収穫率を向上させるという技術です。明治以降、工業や科学だけでなく農業も近代化が進められていました。

上野博士はそうした農業改革の先駆者であったのです。上野博士が大学で教えた生徒たちはその後、関東大震災後の復興計画で活躍しました。

ハチとの生活はたった1年

犬が好きだった上野博士は、かねてから飼いたかった秋田犬を手に入れ、「ハチ」と名付けました。ハチは子供のいなかった上野夫妻に、我が子のようにかわいがられて成長します。しばらくすると、ハチは渋谷駅へ上野博士を迎えに行くようになりました。

その後、博士が亡くなった後の10年間、駅で待ち続けたハチですが、実は博士と暮らせた時間はわずか1年ほどでした。残りの長い時間をすべて、帰らない主人を待ち続けたハチはやはり忠犬なのでしょうね。

忠犬ハチ公と上野家。有名なハチとの記念写真に正装し緊張する家族。(出典:wikipedia)
忠犬ハチ公と上野家。有名なハチとの記念写真に正装し緊張する家族。(出典:wikipedia)

上野夫人の事情

上野博士が亡くなった後、残された夫人とハチは、一緒に暮らすことができませんでした。

なぜなら上野夫妻は周囲の反対を押し切って夫婦となったため、籍を入れられず、夫人は当時の法律では夫の財産(家など)を相続できなかったからです。

そうした事情で、夫人は泣く泣くハチを知人に預けたそうです。

忠犬の物語の裏には、当時の結婚事情と女性の社会的立場の弱さが見てとれますね。その後、上野夫人は亡くなってからも博士と同じ墓に入ることが許されませんでした。

2016年、ようやく夫人の遺骨は夫の眠る墓に安置されました。隣にはハチの石碑もあり、これで久しぶりに一家がそろったのです。

当時のメディアミックス

10年もの間、渋谷駅で待ち続けたハチの美談は人づてに伝わっていき、ついには朝日新聞に記事として掲載されました。

記事をきっかけに、ハチはさらに有名になっていきます。肉声がレコードとして残されたり、映画に出演したり、さらには自分の銅像の除幕式にまで出席しました。

こうしたメディアミックスの背景には、実は当時の軍国主義が関わっていました。主人をけなげに待つハチの行為は「忠義」として当時の政策に利用されたのです。

しかし、いくら有名になろうとも、ハチは相変わらず渋谷駅で主人を待ち続け、最後は駅で駅員たちに見守られながら亡くなりました。

昭和8年(1933)頃、渋谷駅で駅長と写るハチ公。(出典:wikipedia)
昭和8年(1933)頃、渋谷駅で駅長と写るハチ公。(出典:wikipedia)

戦争とハチ公像

渋谷のハチ公像は、ハチがまだ存命中の昭和9年(1933)に作られましたが、現在、私たちがよく知る銅像は作られた当時のものではありません。

初代のハチの銅像は彫刻家の安藤照(てる)が手がけました。安藤は犬好きで、ハチをアトリエに呼んで製作を行ないました。後に彫刻家となる息子・安藤士(たけし)もアトリエで父の仕事とハチを眺めていたそうです。

やがて戦争が始まると、不足する金属を補うための「金属回収令」が出され、ハチ公の銅像も「お国のために」と供出させられました。ハチ公像は供出の時、兵士のように「出陣式」が行われ、たすきをかけられて運ばれました。

初代ハチ公像。昭和11年(1936)、ハチ公一周忌の様子。(出典:wikipedia)
初代ハチ公像。昭和11年(1936)、ハチ公一周忌の様子。(出典:wikipedia)

戦後、「もう一度渋谷にハチ公の銅像を建てよう」と、復興を願う人々によって銅像は再建されました。そして、偶然にも二代目の銅像を作ったのは、初代のハチ公像を作った安藤照の息子、士(たけし)でした。

安藤士は、父親がハチ公像を復活させるため、金属が不足する中で、自分の作品を壊し、その材料でハチ公像をつくりました。

こうして昭和23年(1948)、二代目ハチ公の像は完成し、私たちがよく知る待ち合わせ場所として、今日も渋谷の駅前に建っています。

近年、「いつまでもハチが主人を待ち続けるのはかわいそう」という声があがり、平成27年(2015)に東京大学構内に博士とハチが再会する姿の像が作られました。その像でハチは嬉しそうに博士に飛びつく様子が描かれています。

90年以上の時を経て、ハチはようやく最愛の主人と出会うことができたのです。

東大の有志が計画して銅像制作が実現。90年ぶりに「再会」したハチと上野博士の像
東大の有志が計画して銅像制作が実現。90年ぶりに「再会」したハチと上野博士の像

おわりに

ふだん、なにげなく見ているハチ公の銅像にも、さまざまな歴史の背景や、人々の思いがこもっていることがわかりました。

以前は勝手に忠君愛国のアイコンにされたり、兵器として使われるなど、歴史に翻ろうされたハチ公像ですが、ハチ自身は単に愛する主人に会いたかっただけなのかもしれませんね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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