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鎌倉街道の峠から 葛飾北斎『冨嶽三十六景』「甲州三坂水面」

写真:御坂峠からの眺め
写真:御坂峠からの眺め

甲斐から鎌倉へと向かうための重要な道であった鎌倉街道は、もとより甲斐九筋とも呼ばれる甲斐国の古道の1つでもあった道。鎌倉往還、駿州東往還、御坂路、甲斐路とも呼ばれるこの道の難所に、御坂峠がある。

御坂峠の名称は、日本武尊が越えて甲斐国に入った坂に由来し、その坂が通じる峠を意味するという。「峠道は中世には鎌倉と甲斐を結ぶ鎌倉往還で、政治的軍事的要路で信濃や北陸方面への連絡路であり、鎌倉文化の移入路でもあった」(『角川地名大辞典 19山梨県』)とされ、戦国期に甲斐侵攻のために小田原北条氏によって築かれた御坂城の址も残っている。

御坂峠は現在も富士山と河口湖と街並みが見えるビュースポットであり、花水坂(北杜市)、西行峠(南部町)とならぶ山梨県の富士見三景とも呼ばれている。

葛飾北斎の『冨嶽三十六景』は、天保2年(1831)から刊行された大判錦絵であり、人気を博したことから当初の36景に10景を加えた46景からなるシリーズ。北斎72歳のときに生まれた、言わずと知れた代表作。そのなかでも北斎の遊び心が感じられる浮世絵として知られるのが本作「甲州三坂水面」だ。

葛飾北斎『冨嶽三十六景』「甲州三坂水面」(メトロポリタン美術館所蔵 パブリックドメイン)
葛飾北斎『冨嶽三十六景』「甲州三坂水面」(メトロポリタン美術館所蔵 パブリックドメイン)

タイトルに「三坂(=御坂)水面」とあることから、これが御坂峠から見える富士山と河口湖であることがわかるが、実際の御坂峠からは周囲に山があって河口湖全体が見えることはなく、その距離から水面に映る逆さ富士までが見えることはない。

さらに、正面に描かれている富士山は山肌が現れている夏山で、周辺の山々には緑が生い茂っているのだが、水面に映る富士山はよくみると雪山であることがわかる。加えて、水面の逆さ富士が本物の富士山の位置から考えるとあり得ない位置に描かれている。まるでだまし絵のようにも楽しませてくれる作品であり、実際の場面を忠実に描くことよりも構図や形状のバランスの妙やエンターテインメント性を大切にする、北斎ならではの描き方だと言えるだろう。

ちなみに歌川広重も幕末に『冨士三十六景』で「甲斐御坂越」として御坂峠からの景色を描いている。こちらは峠を越える旅人から見えたであろう景色が印象的な構図であり、眺めるだけで旅をしている気分にさせてくれる浮世絵だ。険しい峠を越えたところで目の前が開けて、湖と富士山が見えた。そんな感動を作品に感じることができる。

▼参考文献
山梨県教育委員会『山梨県歴史の道ガイドブック』
『葛飾北斎生誕二五〇周年記念 北斎漫画 江戸の伝承版木を摺る』展図録

▼参考サイト
山梨県立博物館 博物館資料のなかの『富士山』
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/4th_fujisan/01fugaku/4th_fujisan_01fugaku36_29.htm
http://www.museum.pref.yamanashi.jp/4th_fujisan/03fuji/4th_fujisan_03fuji_30.htm

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  この記事を書いた人
KOBAYASHI Sayaka さん
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