豊臣秀吉が用いた戦法に「干殺し(ひごろし)」と呼ばれるものがありますが、これはどんな戦法なのでしょうか?
( 正解率は 62 % )正解!
ざんねん…
答えは「敵の食料を絶つ」
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水攻めや一夜城など特殊な戦法を用いるイメージがある秀吉が、播磨国の三木城を攻めたときに用いたのが干殺しです。いわゆる兵糧攻めで、天正6(1578)年から始まり、一年八ヶ月に渡って行なわれました。
三木城は川と高地に囲まれて攻めにくいうえ、周囲に複数ある支城との連携が可能な、とても堅固な城でした。正面から戦っては、勝てたとしても多くの損害を出すことになるため、秀吉は兵糧攻めを選んだのだと考えられています。
長期に渡る兵糧攻めの末、弱り切ったところでの総攻撃に遇い、三木城の別所長治は降伏、自刃しました。そうして秀吉をはじめとする織田軍は、中国地方平定に向けてさらに軍を進めていったのです。
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