「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」は京都府と大阪府の境にある峠ですが、戦国時代の故事から有利なほうに味方しようと形勢をうかがう態度の意味もあります。さて、この洞ヶ峠で、1582年の山崎の戦い(明智光秀 vs 豊臣秀吉)の戦況を眺めていた人物は、一体誰だったのでしょうか?
( 正解率は 65 % )正解!
ざんねん…
答えは「筒井順慶」
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山崎の戦いは、本能寺の変の後に起こった、羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀との戦いです。 この時、光秀に味方するかどうか決めるために戦況を見守っていたのが、洞ヶ峠に陣取った筒井順慶(つつい じゅんけい)であったという言い伝えがあります。
洞ヶ峠はあまり高くはありませんが、淀川や天王山が眺められるので、戦況を判断するにはうってつけの場所だったようです。なお、この故事成語が成立したのはずいぶんな昔で、現在では順慶は洞ヶ峠まで行軍していなかったという説が有力となっているようです。
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