戦国時代、15歳で処刑された悲劇の姫君は?

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出羽国の大名・最上義光の娘で、豊臣秀次の側室として15歳で三条河原で処刑されたと伝えられる、悲劇の姫君は次のうち誰でしょうか?

( 正解率は 59 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「駒姫(こまひめ)」

  回答内訳

513人 が回答済です

菊姫(きくひめ)(71回答)
13%
鶴姫(つるひめ)(84回答)
16%
亀姫(かめひめ)(55回答)
10%
駒姫(こまひめ)(303回答)
59%

※未回答での閲覧回数は 83回

 解説

駒姫(こまひめ)は東北の有力大名・最上義光の娘で、東国一の美少女の誉れ高く、義光から溺愛されて育ったと言われています。

秀吉の甥で、のちに関白となった豊臣秀次から側室に望まれ、15歳で上洛します。京に着いたのもつかの間、秀次は秀吉に謀反の疑いを掛けられて高野山で切腹を遂げます。そして秀次の妻子や侍女たちも、三条河原で処刑されることに。

しかし駒姫はまだ実質的な側室になる前だったといい、義光は娘の助命を嘆願してそれが認められ、駒姫の処刑中止を伝える使者が派遣されたものの、あと一歩間に合わなかったと伝えられています。

娘の早すぎる死を嘆き悲しんだ義光は、これがきっかけでのちの関ヶ原の戦いで徳川方に着いた、という見方もあります。戦後、その功績により57万石に加増されています。


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