豊臣秀吉の死後に勃発した天下分け目の戦い「関ケ原の戦い」。さて、東軍の総大将は徳川家康ですが、西軍の総大将は誰でしょうか?
( 正解率は 68 % )正解!
ざんねん…
答えは「毛利輝元」
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1600年に勃発した関ケ原の戦いは、豊臣秀吉の死後、政権内部の政争に端を発したものです。
西軍は石田三成を中心とする反徳川家康の武将が結集したものですが、三成自身は総大将ではありません。三成は総大将には就かず、毛利輝元を総大将として擁立するように画策。毛利輝元は戦いの前に大坂城に入城した際、推挙されて総大将となっています。
なお、輝元は関ケ原の決戦には出向かず、大坂城から軍勢の指揮を執りました。
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