【麒麟がくる】第33回「比叡山に棲む魔物」レビューと解説
- 2020/11/24
いかにも悪そうな比叡山のトップ・覚恕が登場しました。天台宗の総本山である延暦寺が武力でどうにかされそうになっているというのに、「仏罰が下る」だとか仏の「ほ」の字も出さない覚恕。そこに触れるまでもなく、腐敗しきった比叡山のありさまが、これでは焼き討ちも已むなし、という気持ちにさせます。
「お経を唱える者との戦に勝ち目はない」
光秀は、比叡山に匿われた朝倉義景と面会しに行きます。実際に光秀がこのような行動をしたという記録はありませんが、比叡山に入っていないという記録もありません。このあとの焼き討ちを前に、堕落しきった比叡山を見せるための演出でしょう。
この面会時の義景の言葉が印象的でした。
- 「お経を唱える者との戦に勝ち目はない」
- 「踏みつぶしても地の底からいくらでも湧いてくる虫のようなもの」
朝倉氏が治める越前は、本願寺の蓮如が北陸で布教したことにより、浄土真宗の信仰が広まっていた地域です。
一向一揆といえば加賀一向一揆が有名ですが、越前も九頭竜川の戦いなど、一向宗には長年悩まされてきた経緯があります。
一向衆と戦い続けてきた義景だからこそ言える真理ですね。前回触れた「仏の重さ」とは、こういうところにあるのだと。たとえ宗教勢力の上層部に信仰心が全くなく、金・金・金!であろうとも、「信じる人たちの力」はものすごいものです。戦国大名たちが一向宗に長く悩まされたのも、一向宗がもつ民衆の求心力のためであったといってもいいでしょう。
義景の言葉は、光秀にどのように響いたのでしょうか。吐き捨てるように言った言葉は、宗教勢力と長年戦ってきた先輩からの助言でもあったと思います。
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腐敗した比叡山
光秀は比叡山のドン・覚恕と面会します。このあたりはほぼほぼ創作でしょうね。覚恕以外にも、比叡山に買われたという平吉の妹、女人禁制のはずの比叡山で堂々と権力者に侍る遊女たち、麓にある遊郭らしき場所などなど、堕落っぷりを感じさせますが、覚恕は比叡山の腐敗をすべて集めて煮詰めてできた煮凝りみたいな存在として描かれます。
覚恕は美しい兄へのコンプレックスを語り、美しさでは兄帝に勝てないから金と権力を手にしたのだと言います。それなのに、集めたものを奪っていく信長が憎いと。
初対面の光秀相手に突然コンプレックスを語ることにびっくりですが、それほどまでに不の感情が渦巻いて溢れ出しそうだったのでしょうね。圧倒的な財力で兄を負かして、溜飲を下げたい。その感情しかないのです。そのすべてを兄・正親町天皇に見抜かれているところがまた残念。
そういえば、第1回で美濃から西へ向かう光秀が、関所で通行料を取る乱暴な比叡山の僧兵を批判的な目で見るシーンがありましたね。覚恕を見る光秀の目はその時と同じような目でした。
松永久秀の離反
帝の勅命と、義昭の仲介により講和がなり、京の都も落ち着きます。二条城では宴が開かれ、その場には筒井順慶と、そして松永久秀の姿が……。久秀にとっての宿敵・順慶が義昭の養女(九条家の娘)を娶る祝いの席に呼ぶとは、と久秀は激怒。義昭が上洛する前から支えてきて、かつての主家である三好氏とも戦ってきた久秀にこの仕打ち、怒るのも無理はありません。
今回の宴の能は「羽衣」でしたね。昔話としても有名な羽衣伝説をもとにした演目です。作中の状況と絡めて語るなら、天女の「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」という言葉でしょうか。
天女の羽衣を隠してしまった漁師が「羽衣を返してしまったら舞を見せずに帰ってしまうだろう」と疑って先に羽衣を返すことをしぶると、天女は「いや、疑いや偽りは人間界にのみあるもので、天上界にはないものだ」と言います。その言葉に、漁師は自分を恥じて羽衣を返すのです。
まず疑ってかかるほど、それが当たり前なのが人間界。宴に参加していた面々にも「疑い」「偽り」はついてまわります。
久秀と順慶の同席を摂津のせいかのように言う光秀も、そもそも順慶を引き入れたのは光秀であって、それを久秀に隠していては……。その偽りもどうせいつかはばれるのですが。
比叡山焼き討ちの程度は?
比叡山焼き討ちの始まりは、売られた妹を救いたい少年・平吉視点で始まりました。光秀は「女子供は逃がせ」と命じていましたが、この時点では女も平吉も斬り殺されてしまいました。最近は、信長の比叡山焼き討ちはさほどひどいものではなかった、という説がありますが、これはどこまでを比叡山と捉えるかによっても違うでしょう。
そもそも比叡山は信長以前に2回焼き討ちにあっています。
- 永享7(1435)年の足利義教による焼き討ち
- 明応8(1499)年の細川政元による焼き討ち
この後信長の焼き討ちまで数十年あるとはいえ、すべて元通りに再建されてはいなかったようで、発掘調査によれば信長の焼き討ち以前に失われた建物も多く、すでに荒廃した状態だったとか。
信長の焼き討ちがそれほどひどくなかったというのは、この部分を指したものです。とはいえ、焼き討ちがひどくなかったというわけではありません。
めちゃくちゃに焼かれてしまったのは山というより、麓の坂本のまちであったといわれます。女子供も構わず撫で斬りにされたのは坂本のことでした。そもそも先の焼き討ちで山は荒廃していたので、延暦寺の本拠地もほとんど坂本であったとか。
焼けた坂本
光秀にとって宗教勢力は弱者から搾取する者たちですが、そこに暮らす民は別。すべて斬れという信長とは違い、「女子供は逃がせ」と命じたことも、そこは分けて考えようということなのでしょう。実際には「仰木村は撫で斬り(皆殺し)にしよう」という光秀の書状が残っていて、信長の残虐なやりように戸惑う旧来の光秀像とは違う一面が見られるのですが、「麒麟がくる」ではそこまで積極的に焼き討ちする感じではありませんでしたね。次回どのように展開するのかにもよりますが。
その焼き討ちにあった坂本がある近江国志賀郡は、比叡山焼き討ちで功績を挙げた光秀に与えられることになります。
光秀は坂本に城を築き、焼き討ちで焼失した西教寺(光秀の菩提寺でもある)を再建し、復興のための援助を行ったとされます。この寺には戦死した家臣の供養のため、光秀が供養米を寄進した記録も残っています。
次回予告で光秀は「この都には身内を失った者も数多いよう、そうさせたのは父だ」という台詞があります。
坂本で復興に力を入れたのも、焼き討ちの悔恨ゆえ、思いを晴らしたい気持ちがあったからでしょう。
武士からみた戦国だけでなく、民から見た戦国も丁寧に描かれるドラマですから、坂本を治める光秀も民目線でしっかり描かれるのではないでしょうか。
【主な参考文献】
- 『国史大辞典』(吉川弘文館)
- 奥野高広・岩沢愿彦・校注『信長公記』(角川書店、1969年)
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