【麒麟がくる】第26回「三淵の奸計」レビューと解説
- 2020/10/06
前回信長との間で「大きな国」の話が出たところです。信長はこの時期に使い始めたという「天下布武」の印章とともに「麟」の花押を使っていますが、これらへの言及はとくにありませんでした。
「麒麟がくる」のタイトルはこの花押に関係すると思っていたのですが……実際花押を使い始めた永禄8(1565)年、ドラマの信長はどこに向かったらいいのやら わからないという状態でした。
さて、26話は、義景はあてにならない。さて、面子を保ったままどうやって信長に鞍替えしようか。そういうお話でした。
「麒麟がくる」のタイトルはこの花押に関係すると思っていたのですが……実際花押を使い始めた永禄8(1565)年、ドラマの信長はどこに向かったらいいのやら わからないという状態でした。
さて、26話は、義景はあてにならない。さて、面子を保ったままどうやって信長に鞍替えしようか。そういうお話でした。
近衛家と二条家
これまでは、将軍職をめぐって武士たちが対立し、それぞれにとって都合のいい神輿を担いでいるという構図でした。関白・近衛前久は義栄を将軍に推挙しています。ここに新たに登場したのが二条晴良。将軍をめぐる対立に、朝廷の対立も絡んできました。近衛家、二条家というのはどちらも五摂家です。五摂家は平安時代に藤原氏四家の中で最も繁栄した藤原北家の流れにあって、鎌倉時代中期以降に摂関に就任するようになった五家です。
五家が枝分かれし始めた段階は違っていて、最初に藤原忠通の子・近衛基実と九条兼実が近衛家、九条家の祖となりました。それから数代のちに、近衛家から枝分かれして鷹司家が、九条家から枝分かれして二条家、一条家ができました。
そういうわけで、近衛家と鷹司家を総称して「近衛流」、九条家、二条家、一条家を総称して「九条流」といいます。五家といってもそれぞれバラバラではなく二流に大別されるというわけです。
単純にこの二流がわかれ、それぞれが団結して対立していたとはいえませんが、近衛前久と二条晴良の対立には派閥の問題も関係しているのです。
この二人の対立はこのあと晴良が関白に返り咲いて一旦終わりますが、それぞれの子の世代になっても対立は続き、関白の座をめぐる抗争が起こります。
通称「関白相論」。近衛と二条、どっちが関白を手にする!?というお公家同士の争いだったのですが、なんと関白をかっさらっていくのは秀吉なのです。まさに漁夫の利。
「麒麟がくる」はおそらく光秀の死で終わるでしょうから、そこまで描かれることはないでしょうね。
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悪銭
二条晴良がちらつかせた悪銭。鐚銭(びたせん)ともいいます。これは粗悪な銭のことです。日本国内で貨幣が鋳造されていた時期(古代)もありましたが、度重なる改鋳で旧銭とのばらつきが生じ、トラブルが多発。贋金や唐銭・宋銭が混じって混乱し、結果インフレが起きて銭離れを招いたのでした。
それで国内鋳造は行われなくなり、のちに輸入銭の普及でまた貨幣が広く用いられるようになります。基本的には輸入された中国銭が流通していたのですが、国内で勝手に鋳造された「私鋳銭」が紛れ込むようになります。
これは穴が開いてなかったり文字がつぶれていたりする粗悪なものが多く、通常の銭よりも低い価値とされ、嫌われました。
しかし、明は銅不足もあって銅銭の鋳造をストップし、紙幣と銀貨を流通するようになります。そのおかげで日本国内は銭不足に陥ったのでした。
今回の内容は、義栄が将軍就任した際に朝廷への御礼として献上した中に悪銭が混じっていたという話に基づくものでしょう。朝廷はそれを非難したといいますが、これだけ銭が不足していたらどうしようもないことです。
お金がない朝廷。伊呂波太夫の目的は?
お金の話が続きますが、伊呂波太夫が撫でていた壊れた塀は、朝廷が御所の塀を直すこともできないほどお金がないというのを端的に表していますね。応仁の乱の混乱以降、幕府の権威は衰えていきましたが、同じように朝廷の財政も逼迫していました。
例えば後柏原天皇。当時の将軍・義澄は即位の礼の費用を献金しようとしましたが、実権を握っていた細川政元が無駄だと言ったため資金は集まらず、即位から22年目にしてやっと即位礼を行うことができました。
続く後奈良天皇、正親町天皇の即位の礼も同様に即位から数年行うことができず、有力大名の寄付によって行われました。朝廷はそれほど貧窮していたのです。
ここで伊呂波太夫が「帝のご威光に関わるから早く直して」と壊れた築地塀をいやに気にするのは、朝廷との何らかの関りを感じさせますね。彼女が駒の丸薬を使って金儲けするには目的がありそうです。
伊呂波太夫は訪れた一乗谷にて、「船出の時」だと光秀に言います。義景は和歌を詠んで暮らすくらいがちょうどよく、将軍を担いで支える器量はない。だから信長とともに上洛せよと焚きつけます。
ここで本当に信長が単独で上洛してしまったら、伊呂波太夫を姉と慕う前久は義栄を推しているので不利益を被るわけですが、それはそれ、これはこれなのか。
伊呂波太夫が信長に目を付けたのは時勢を読んでのことでしょうが、かつて信長の父・信秀が洪水で流れた御所の塀の修繕費に4000貫出した(今川はわずか500貫)というのが関わっているんでしょうか。父親がそれほど出したなら、子の信長にも期待できると。
三淵の奸計
朝倉義景は義昭とともに上洛することを決意しましたが、朝倉は一枚岩ではありません。朝倉景鏡(かげあきら)をはじめとする一門衆は、一向一揆のこともあって上洛どころではないと考えているし、それは表向き義景に従っている山崎吉家も同じ考えでした。どうも気持ちとノリばかりで実が伴わない義景に、光秀だけでなく三淵藤英らも不安に思っています。そこで、景鏡、吉家、藤英は一計を案じ、義景が溺愛する子・阿君丸を毒殺するのでした。「朝倉家に受けた恩は忘れない」と言いながら、知恵を出し合って実行した奸計がひどい……。恩を仇で返すとはこのことです。
夭折した阿君丸には毒殺説もあるのですが、こういう形で使ってくるとは……。残された忠太郎を眺めながら歌う義景がかわいそうでかわいそうで。
義昭一行は義景を見限って美濃へ行くことにしたわけで、もうその時点で義景の面子は丸つぶれなのですが、奸計によって「溺愛する子の突然死」で上洛がとん挫するのも仕方ない、という空気を作り出したわけで、表向きの体面は保たれたといっていいのではないでしょうか。それにしては代償が大きすぎますが。
今回のタイトルは「三淵の奸計」ですが、おそらく実行犯は山崎吉家でしょう。吉家は今後の信長との戦いでも活躍します。
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【主な参考文献】
- 『国史大辞典』(吉川弘文館)
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