舞台の上で喋らず動かず、活人画という奇妙な芸能
- 2023/07/20
歴史劇のような扮装をした人間が舞台の上でポーズを取る「活人画(かつじんが)」という芸能。動きもせずに言葉も発しない。どこが面白いのかと思いますが、一時期は人気を博し、素人が余興に演じられる芸としても重宝されました。
本邦初上演の豪華観覧メンバー
明治20年(1887)3月12日、東京虎ノ門工科大学講堂に錚々たる人々が集まります。皇族では伏見宮御夫妻に有栖川宮御夫妻、政府高官として伊藤博文総理大臣に大山巌陸軍大臣・山形有朋内務大臣夫妻・森有礼文部大臣・榎本武揚逓信大臣夫妻・三条実美内大臣、外国公使ではフランス公使夫妻・ドイツ公使夫妻・アメリカ合衆国公使夫妻。
「国賓を迎えての宮中晩餐会でもはじまるのか」 というような顔触れですが、これが何と本邦初の活人画の上演会だったのです。博愛社、現日本赤十字社の寄付集めのためでしたが、この他に観客が900人ほども詰めかけました。軍楽隊がワーグナーのオペラ曲を奏で雰囲気を盛り上げます。
活人画とは冒頭で書いたように、背景が描かれた舞台で役者が役になり切った扮装をし、終始動かず、セリフも喋らずニコリともせずに突っ立ったまま、幕が下りては舞台が切り替わると言うものです。
良く知られた歴史上の物語や文学作品・神話の有名な場面が演じられ、観客は神々や伝説の美女・英雄を演じる役者の扮装を楽しみました。
上演会の雰囲気は微妙だった
この日の活人画は十幕あって、第一幕は「仁慈を顕わす」第二幕は「壮士野に美しき薔薇を見る」と題したものです。当日男2人で見物した記者の手記が、同年4月3日付の「やまと新聞」に掲載されます。それによると
「満堂の瓦斯灯の光は白亜塗りの円柱と相映じ、両廊の奏楽の響きは貴女紳士の拍手の音と相和せり」
とあり、楽団の演奏が付く華やかなものでした。同時に2人の会話も残されていますが、雰囲気はやや微妙です。
「いやあの令嬢の麗しい事、これでニコリとでもしてくれたらなぁ」
「動かないからいいんだよ、西欧名画を見る如しじゃないか」
「だが日本流の目から見ると不思議な舞台だな」
「そりゃそうだ、生きた人間が動かない絵になるんだから」
すでに歌舞伎と言う立派な舞台装置があり、きらびやかな書き割りを背に役者が生き生きと演技をする芸能を知っている日本人には、活人画は今一つ物足りないものでした。それでも素人でも簡単に真似られることから、賑やかな集まりの余興芸として一時は流行します。
特に女学校では女子生徒が俳優として演じるのを禁止する学校が多く、活人画の動かない点が歓迎されました。児島高徳や大楠公桜井の別れ・五条大橋牛若弁慶の出会いなど、教訓的・感動的な題材が選ばれます。
活人画をもう少し詳しく
活人画はヨーロッパで始まり、英語では「リビング・ピクチュア」フランス語では「タブロー・ヴィヴァン」と呼ばれ、18~19世紀に流行しました。細かい筋立てをすっ飛ばして簡潔に名場面だけを味わえる利点があり、聖書の重要な個所を多くの人に視覚的に納得させる効果があります。ただし一番人気を呼んだ活人画は、19世紀の女性ヌードの活人画です。女優の裸身も動かないからと許されました。
ただやはりこれだけを熱心に注視して見るものではなく、結婚式や戴冠式・豪華なパーティー・勝利を祝うパレードの余興として楽しまれます。
豪華な顔触れで上演されるも
明治36年(1903)4月、築地水交社で下田歌子が主催した華族女学校の葵卯(きぼう)園遊会で、活人画が上演されました。洋画家の山本芳翠が考案し、和田三造・北蓮蔵・白瀧幾之助らが背景を作成します。上古から徳川時代までを「世々の面影」と題して12幕もので見せました。「御簾をかかげる清少納言」や「春日局、竹千代君を先導する」の場面では子役も登場します。海軍軍楽隊が演奏を受け持ち謡曲も謳われと音楽も本格的で、皇族・大臣・各国公使ら1000人以上が詰めかけ、入場料2円を徴収しました。
同年7月15日から3日間、今度は東京歌舞伎座で活人画興行が行われます。4月の水交社と同じ演目で、六世尾上菊五郎・七世松本幸四郎・七世市川中車・初代中村吉右衛門と名題役者が顔を揃え、松林伯知・桃川実ら4人の講釈師が説明を受け持つ豪華なものです。
しかしいくら名優が出演しても、舞台の上で黙ったまま突っ立っているだけでは見せ場も無く、山本芳翠の油彩の舞台美術やフットライトの照明の当て方が賞賛されました。
おわりに
活人画は明治20年代に最盛期を迎え、大正の初期まで演じられますが、動かず喋らずでは飽きられるのも早く、明治後期に活動写真が現れると一気に廃れてしまいます。しかし活人画は思わぬ副産物を生みました。戦後に現れ、昭和22年(1947)1月、秦豊吉が東京新宿の帝都座で興行した「名画アルバム」です。これは女性の裸体が売り物で、のちに大流行した額縁ショーに連なり、多くの男の夢を満たしたのです。
【主な参考文献】
- 倉田喜弘『幕末明治見世物事典』(吉川弘文館、2012年)
- 鳥越一朗『おもしろ文明開化百一話』(ユニプラン、2017年)
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