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【史跡散策】実物の「甲賀流忍術屋敷」でリアル体験
- 2024/06/27
滋賀県の南部、びわ湖からは少し離れた甲賀市。およそ1250年前にあたる奈良時代の中頃、現在の滋賀県甲賀市信楽町に聖武天皇が造営した都・紫香楽の宮があった。そして戦国時代には、甲賀流忍術の発祥地となった。
甲賀流忍術屋敷は、甲賀望月氏本家旧邸をそのまま利用している。甲賀忍者が住んでいた本物のお屋敷だという。茅葺きや瓦は何度か葺き替えられているものの、観光用として移築や復元・リフォームされたものでなく、お屋敷の躯体そのものは当時のまま今に残っている。JR草津駅から草津線「甲南駅」下車、南へ約2kmの道のり、徒歩約20分のところにある。
甲賀忍者は、現在の滋賀県甲賀市と湖南市を含む旧甲賀郡で活動していた忍者集団。忍者は、普段は農業をしたり、行商をしたりして各地の情報を探る一方、主人の大名や武将などから指令が下ると、戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んでいた。
京の都の内情や権力争いの動きにも明るかったかもしれず、そういう知識が諸国の大名に役立ったのでは、と司馬遼太郎もどこかで書いていた。
このお屋敷では実際に使われていた道具などが展示されているだけでなく、忍者屋敷で実際に使われていた巧妙な仕掛けを自由に見て触れたり体験できる施設になっている。
襖の奥や壁の戸に背中を付け、少し力を加えると回転する「だまし扉」は、閉じている普段は回転するように見えず、一見普通の襖・壁だ。隠れている忍者を探そうとするとすべての壁を押して確かめなくてはならない。
からくり窓は、一見すると開くように見えない嵌め殺しの格子窓だが、スライドさせると開くしくみの窓。 敵襲があればそこから逃げれば消えてしまったように見える。
2階へはかくし梯子を使って上がるようになっており、天井の高さは1メートルほど、高いところでも1.5メートルと非常に低く作られており、敵が刀を振り回せない空間になっている。
一方、忍者は刀身が短い忍者刀を使用して戦えるよう作られている。また、手裏剣道場では、実物の手裏剣を投げることができる。
この忍者屋敷には、徳川家康が泊まった可能性があるという。本能寺の変後の伊賀越えの際だ。近くの同じ忍者屋敷・多羅尾家かこの望月家かどちらかだったようだ。
いずれにしても甲賀と伊賀の忍者たちはその恩によって江戸に迎えられ代官に取り立てられたという。東京に今も残る半蔵門や四谷や千駄ヶ谷の甲賀町や伊賀町もその名残りだ。
なお、忍者屋敷からすぐのところには、甲賀市が運営する甲賀市甲南情報交流センターに入っている「甲賀流リアル忍術館」がある。ここでは主に戦国時代から江戸初期にかけて活躍した甲賀忍者の成り立ちから生活・生態までをリアルに知ることができる。
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