お江戸のランキング表、洒落好きの江戸っ子が作った見立て番付

『絵本太功記 角力(すもう)見立番付』(出典:<a href="https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200016080/1?ln=ja">国書データベース</a>)
『絵本太功記 角力(すもう)見立番付』(出典:国書データベース
 現在番付と言えば大相撲の番付を思い浮かべます。“相撲字”と呼ばれる独特の肉太の書体で行司さんが書きますが、江戸時代には祭り・役者・相撲の3種類の番付表がありました。その中の相撲番付を手本に、世の中の品物や事象などありとあらゆるものをランキングした見立て○○番付が山ほど作られました。

見立て番付

 江戸時代、洒落の好きな江戸っ子は「見立て番付」を作って楽しんでいました。番付はもともとお相撲さんの階級を大関・関脇などに格付けしたもので、現在の実際に行司さんが書いている番付は縦109cm、横79cmのケント紙です。その原版を縦57cm、横41cmほどに縮小して印刷します。

 その中に約650人ほどのお相撲さんの名前を書くのですから、まさに下位の力士の名前は “虫眼鏡” でようやく読める大きさです。現存する最古の番付表は250年余り昔の宝暦版ですが、レイアウトは基本的に変わっていません。

 紙面中央上部に「蒙御免」と書き、その下に開催期間や場所・行司・呼び出しなど、土俵を運営する人の役職と名前が書かれます。力士の名前は左右に振り分けて書かれ、最後に理事長以下監事・役員・委員など主催者側の名前が載せられます。江戸っ子はこの様式を拝借して、物でも人でもあらゆることを東西に分けて格付けし、楽しんでいました。

手軽な江戸土産だった見立て番付

 本と違って1枚物の番付はごく手軽に作れます。江戸で書籍を発行するには「書物屋仲間」つまり出版社協会のような組織に入り、その世話役「行司」の監督の元で出版業務を行ないます。

 この組織は有害図書の自主取り締まりなどを行ないますが、見立て番付には版元の名前さえ入っていません。つまり「書物屋仲間」に所属せず、その目の届かない処で小さな版元が勝手に作って売っていたようです。売値も安く、たいして儲からない商売でしたが、これが良い江戸土産になりました。

 なにしろお値段お手頃、荷物にもならず、それでいて掛け値なしの江戸庶民のホンネと江戸で評判のモノが判るのですから、地方に住む人にとってはありがたい情報源です。とは言っても版元が勝手に順位を付けるのですからどこまで信頼できるかは疑問ですが…。それではいくつか見立て番付がどのような物か見て行きましょう。

名工番付

 「刀は武士の命」だそうですから江戸という平和な時代になっても、いや、平和だからこそ金に余裕のある武士は競って名の聴こえた名刀を求めました。そこで作られた名工番付、刀鍛冶の名前が書いてあるのですが、何を以って名工と位置付けるかはほぼ売値に拠っています。

 番付のタイトルは『新刀名剱鑑』。登場する刀工は殆どが1600年代に活躍した人で、番付自体は1800年代作成と思われます。

 タイトルの下には行司が3人居て、中央が刀一振り金卅(さんじゅう)両の信濃守国廣、右が10両藤原右作、左が7両大隅守正弘といずれも名工が名を連ねます。他にも主催者や副主催者の名前が見られ、東の大関は津田越前守助廣(つだえちぜんのかみすけひろ)、値段は金卅両なりです。関脇は20両の主水正(もんどのしょう)正清、西の大関は金卅両の井上真改(しんかい)、関脇は20両の陸奥守包保(かねやす)です。これを見ると、当時の新刀の値段は30両が上限だったようです。番付の末席になると1両2両の刀工もランクインしています。

 1800年代初めの江戸では一人前の大工の稼ぎが年に20両でしたから、30両はかなりの大金です。この番付を見て庶民はお侍の懐具合を想像したのでしょうか。

特産品・土産物番付

 享保の改革の時、8代将軍吉宗は全国の物産を詳しく調査させ、その土地に合った適地適作で特産物を作るのを奨励します。それに触発されたのでしょうか、『大日本産物相撲』のタイトルで各地の名産品番付が出来ました。

 東方に108品西方にも108品、虫眼鏡クラスまで入れれば全国216品目が番付入りしています。行司として6品、対馬干牛・紀州根来椀・陸奥棒鱈・松前数の子・下野日光にしき・紀州熊野五倍子(ふし)とあります。干牛は干した牛肉、五倍子は白膠木(ぬるで)の木の葉に出来る虫瘤でお歯黒の材料になりました。日光のにしきは良くわからないのですが、東照宮の煌びやかさを錦に例えたようです。

 東の大関は ”八丈島” と書かれていますが、これは将軍家への献上品にもなった八丈島の草木染黄八丈の事でしょう。関脇は土佐の鰹節です。西の大関は京都の羽二重、関脇は松前の昆布です。

 こうしてみると現代にも残る特産品が数多くありますね。

神社仏閣番付

 江戸っ子は神社仏閣も格付けをしました。しかしその基準は霊験のあらたかさでは無く、御領つまり収入源となる荘園をどのくらい持っているかでランキングされます。

 タイトルはズバリ『大日本神社仏閣御領』で、行司格として大きく両皇太宮神宮と書かれています。これはもちろん伊勢神宮の事で、右に小さく「内宮御領四万二千石」左に「外宮御領八百石余」とあり、両方合わせると中級の大名並みです。その下には「寺領二万千七百石余」で高野山金剛峰寺がお寺代表として挙げられています。

 この番付は東方が神社、西方がお寺となっており、東大関に当たるのが「二万二千石和州春日大社」関脇が「七千四拾石城州石清水」と続きます。奈良の春日大社と京都の石清水八幡宮ですね。西大関はこれも奈良の「二万千百拾九石和州興福寺」関脇が「一万三千石江戸東叡山」とさすがに将軍家の菩提寺上野寛永寺が入っています。

 本家比叡山延暦寺は五千石で前頭筆頭、案外実入りは少ない気がしますがここは別口の大きな収入源がありますからね。

おわりに

 番付はほかにも江戸の古着屋や常磐津の師匠や甘党向けの汁粉屋番付などディープな物から、酒・美人・金持ちなどみんなが気になるモノまで、ありとあらゆる品々が格付けされ江戸っ子を楽しませました。


【主な参考文献】
  • 青木美智男/編『決定版番付集成』柏書房/2009年
  • 林英夫/編『番付で読む江戸時代』柏書房/2003年

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  この記事を書いた人
ichicokyt さん
Webライターの端っこに連なる者です。最初に興味を持ったのは書く事で、その対象が歴史でした。自然現象や動植物にも心惹かれますが、何と言っても人間の営みが一番興味深く思われます。

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