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日本最古の灯台は大阪に?鎌倉時代からの歴史
- 2024/03/19
住吉の高燈籠とは
日本最古の灯台とされるのが「住吉の高燈籠」というもの。創建は鎌倉時代末期ごろと言われていますが、詳細は不明です。現在は住吉公園に建っていますが、もともとはここから西へ200メートルほどのところにあったそう。昭和になって台風で倒壊したり工事があったりで移築されたといいます。現在は鉄筋コンクリートで当時の姿が再現されています。
鎌倉時代
鎌倉時代末期に創建されたという住吉の高燈籠。鎌倉時代、この辺は海に面していた港でした。
大阪はよく商人の町といわれますが、当時からも住吉の港は利用されていました。航海の安全を守るには、灯台が必要になってきます。住吉の高燈籠もそのひとつとして建築されたのだそう。
住吉港は、古くは仁徳天皇が開いた港と伝わります。有名な遣隋使・遣唐使も住吉津より旅立ちました。また近くにある住吉大社は海上の安全を守る神様でもあります。当時から船の安全を守り、航海を行うために住吉の港が努力してきた思いが灯台というかたちになったのかもしれません。
江戸時代
住吉高灯籠は航路を示す目印のような存在になりました。住吉津周辺は流れが穏やかで、海上交通においての役割が増してきたといいます。そのため夜間航行する船も増え、住吉灯台がそれらの船を守るという役割もあったのだとか。
その後、街が発展していくにつれ、この付近で潮干狩りをしたり露店が出たり賑わってきました。住吉高灯籠には一般客も登ることができたため、観光スポットとしても注目されるようになりました。実際に「絶景スポット」として、淡路島などを見渡すことができ有名だったようです。
江戸時代以降
江戸時代後期に大阪は大いに埋め立てが進みました。この周辺も同じくです。そのため住吉高灯籠は灯台としての役割を終え、「史跡」「観光スポット」として扱われるようになったといいます。
大正時代ごろまでは未だにビュースポットとして人気を誇っていたといいます。しかし昭和25年にジェーン台風により倒壊。住吉高灯籠の再建を望む人が多かったことから、今の場所に再建されました。
現在の住吉高灯籠を訪れる
現在、住吉高灯籠は資料館として使われています。実際に中に入って当時の貴重な資料などを見学し歴史を学ぶことが可能です。一般開放は毎月の第1第3日曜日の10時から16時までです。(詳細は公式HPをご確認ください)
今は完全に街中にある住吉高灯籠なので当時の姿を想像するのは難しく、ここまで海が広がっていたと思うと驚くかもしれません。夜はライトアップされ雰囲気もたっぷりの場所です。
実際に住吉高灯籠を訪れて当時に思いを馳せるのも良いかもしれませんね。今まで身近だと思っていた住吉の町が、全く違ったものに見えてくるかもしれません。
※参考
・公益財団法人 住吉名勝保存会
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