『源氏物語』光源氏のモデルは誰? 藤原道長だけじゃない貴公子との共通点
- 2023/12/28
日本を代表する文学作品、紫式部の『源氏物語』。主人公・光源氏は数多くの女性と浮名を流し、プレイボールの代名詞です。もちろん架空の人物ですが、モデルとなった実在の人物はいるのでしょうか。いるとすれば、それは誰なのでしょうか。
平安時代の貴公子、一流貴族に何人か共通点のある人物がいて、中でも、藤原道長(ふじわらのみちなが、966~1027)、源高明(みなもとのたかあきら、914~982)、源融(みなもとのとおる、822~895)が有力候補のようです。光源氏と彼らの共通点を比べてみましょう。
平安時代の貴公子、一流貴族に何人か共通点のある人物がいて、中でも、藤原道長(ふじわらのみちなが、966~1027)、源高明(みなもとのたかあきら、914~982)、源融(みなもとのとおる、822~895)が有力候補のようです。光源氏と彼らの共通点を比べてみましょう。
「藤原道長」出世を極めた大物政治家
『源氏物語』は平安時代の貴族社会が描かれていて、主人公・光源氏は内大臣、太政大臣と出世を重ねて政界の頂点に立ちます。現代でいえば、総理大臣まで上りつめた大物政治家。さらに39歳で准太上天皇に。太上天皇とは上皇、譲位した天皇で、准太上天皇は天皇の父に準じた待遇。臣下ではあり得ない地位で、栄華を極めたと言ってもいいでしょう。「望月の欠けることもなし」
出世を極めた貴族といえば、藤原道長です。藤原北家本流が摂政、関白の地位を独占し、「摂関家」といわれました。摂政は幼少の天皇に代わって政務を担い、関白は成人した天皇を補佐して政務を取り仕切る役職で、事実上の最高権力者です。
藤原道長は関白だった2人の兄の死後、甥との権力争いを勝ち抜き、政権を掌握しました。左大臣や摂政を歴任し、最高の官職、名誉職でもある太政大臣は2カ月ほどで辞任。道長自身は関白には就いていませんが、「御堂関白」と呼ばれ、藤原北家、摂関政治の全盛期を築きます。
また、一条天皇の義父であり、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇の外祖父でした。長女・藤原彰子は一条天皇の皇后で、後一条天皇、後朱雀天皇を産み、六女・藤原嬉子は後朱雀天皇の皇太子時代の妃(嬉子は後朱雀天皇即位前に死去)として後冷泉天皇を産みました。皇室との強い結びつきは道長の栄華を支えました。
一方、光源氏も秘密にされていますが、冷泉帝の実父。娘・明石の姫君を今上帝の中宮にします。
藤原道長の繁栄を象徴的に示すのは、祝宴で披露した即興の和歌です。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の 虧(欠け)たることもなしと思へば」
(この世は自分のための世と思える。欠けない満月のように足りないものは何もない)
この祝宴に出席していた藤原実資(さねすけ、藤原北家)は、度を越した道長の自信に内心あきれ、返歌を断って一同で道長の「名歌」を唱和することを提案しました。表面的に道長に感服しているようで茶化した態度です。
むしろ第一読者
一条天皇の皇后・藤原彰子に女房(女官)として仕えていたのが『源氏物語』の作者・紫式部。教養を生かして彰子の家庭教師のような役割を担います。紫式部の登用には藤原道長も関与しています。紫式部は藤原彰子に仕えながら『源氏物語』の執筆を続け、宮中でも大きな反響を呼び、一条天皇も大いに感心しました。道長は皇后である娘・彰子にはともかく、その女官である紫式部には気安く会える立場であり、『源氏物語』の面白さを評価した第一読者だったのです。
『紫式部日記』には、道長の動向が好意的に書かれているほか、道長が夜半に紫式部の部屋を訪ねる場面があります。この場面では紫式部が面会を拒みますが、「道長妾」と明記する系図もあり、紫式部は道長の愛人だったとする説もあります。
「源高明」天皇の皇子から臣籍降下
光源氏は『源氏物語』作中の天皇・桐壺帝の第2皇子。幼くして臣籍降下(しんせきこうか)し、「源」の姓が与えられ、源氏となります。だから「光源氏」なのです。臣籍降下とは、皇族としての身分を離れ、臣下すなわち一般貴族となることです。平安時代には多くの皇子皇女が臣籍降下し、その多くは源氏となります。源氏には武家を束ねる清和源氏だけではなく、多くの公家源氏がいました。源高明は醍醐天皇の皇子で、7歳で臣籍降下し、その後、左大臣まで出世。藤原氏全盛期の政界で公家源氏として藤原氏に対抗できる地位を得ていたのです。
豪邸新築、西宮左大臣
臣籍降下した源氏の御曹司として出世した点は光源氏と源高明の共通点。さらに2つの豪邸を持つことも共通します。源高明の邸宅は高松殿と西宮。高松殿は左京(平安京の東側)三条の姉小路北、西洞院大路東にあり、三男・源俊賢に相続されました。西宮は右京(西側)の四条大路北、皇嘉門大路西に新築した豪邸。敷地は高松殿の倍。源高明は西宮左大臣と呼ばれるようになります。光源氏も二条院から豪邸・六条院に移ります。二条院は母・桐壺更衣の実家。光源氏は二条院の東に増築し、この二条東院は六条院転居後も別邸として機能します。六条院は平安京東端の六条京極にあり、通常の貴族の屋敷の4倍、4町分の約6万3000平方メートル。光源氏の権勢を象徴する大豪邸です。
さらにもう一つ2人の共通点を挙げます。源高明は三男・源俊賢を厳しく教育、大学寮で学ばせたとみられます。光源氏も嫡男・夕霧を大学寮に入れます。光源氏は極めて位の高い貴族であり、その子息はいきなり四位の位階を得ることができるのですが、光源氏はあえて夕霧を六位からスタートさせたのです。跡継ぎを甘やかさず、しっかり学ぶ機会を与えた点が共通しています。
安和の変で失脚
源高明は藤原道長より1世代前の貴族。道長の妻・明子は源高明の娘です。そして、源高明は安和の変(969)で失脚。大宰権帥(大宰府の長官)への左遷で九州に飛ばされ、藤原氏の政界独占、ライバルとなる有力貴族の排除が完成します。2年後の天禄3年(971)、源高明は許されて京に戻りますが、政界には復帰しませんでした。三男・源俊賢を大学寮で学ばせたのも、藤原氏の権勢を恐れ、早い出世より実力をつけて万一に備える心構えを持たせようとしたのかもしれません。
『源氏物語』でも光源氏が政治的に失脚し、京を離れた時期があります。光源氏はその後政界に復帰し、栄達します。その点は源高明とは異なりますが、モデルとしてみた場合、源高明が実現できなかった理想の姿が物語の中に投影されていると捉えることができます。
出世競争ではトップを独走した光源氏ですが、最後は名誉職に退き、ライバル・頭の中将に政界の実権を譲ります。
源高明の跡を継いだ源俊賢は常に藤原道長に従い、一歩譲った形を貫きます。藤原氏との権力争いに敗れた父・源高明を意識し、競争する姿勢を示さなかったのです。
「源融」亡霊が現れた六条河原院
『源氏物語』の中で光源氏は密会場所として「なにがしの院」に恋人・夕顔を連れ出しますが、寂しく薄気味悪い荒れ屋敷。夕顔は生き霊に取り憑かれ、急死してしまいます。この場面に似たような、似ていないような話が『今昔物語集』にあります。宇多上皇の滞在中に亡霊が現れたというのが六条河原院。元の住人の亡霊が現れ、「私の家なので住んでいますが、こうして上皇がいらっしゃるので、たいそう恐れ多く思います」と言います。亡霊の脅しなのか恨みごとなのか。宇多上皇は「他人の家を奪った覚えはないぞ。お前の子孫から献上されたから住んでいるのだ」と一喝。亡霊は2度と現れませんでした。
この亡霊が源融です。
モデルの最有力候補?
源融の邸宅・六条河原院は六条大路の北で、賀茂川に面した万里小路の東、平安京東端にありました。陸奥・塩釜(宮城県塩竈市)の風景をまねた庭園があり、明石から運んできた海水で塩焼きをするなど、しゃれたことをしていました。4町分の広大な敷地であり、その豪壮さ、平安京の位置からしても『源氏物語』の中では、なにがしの院とともに光源氏の豪邸・六条院との共通点が多いようです。
また、源融は嵯峨源氏の皇子でありながら臣籍降下した源氏。若い時期から順調に出世して左大臣まで昇進し、政権首班だった時期もあります。こうした経歴もよく似ており、光源氏のモデルの最有力候補とみられることもあります。
「光源氏」名前ではなくニックネーム
源光(みなもとのひかる、845~913年)という貴族がいます。光源氏を連想される名ですが、光源氏はニックネームです。臣籍降下した源氏であり、姓は「源」ですが、実名の方は不明。輝くような美しさから「光る君」と呼ばれているので「光源氏」なのです。だから「源光イコール光源氏」ではありません。源光は仁明天皇の皇子から臣籍降下。菅原道真が失脚すると、その後任として右大臣に昇進。しかし、延喜13年(913)、鷹狩に出かけて泥沼で溺死します。遺体が見つからない怪死は菅原道真の祟りと騒がれました。
また、プレイボーイという点で在原業平(ありわらのなりひら、825~880年)も光源氏のモデルとして名が上がる貴族です。『伊勢物語』の主人公にも重なる部分があり、確かにモテ男として有名でした。
おわりに
光源氏のモデルの有力候補としては、皇子から臣籍降下した源氏の有力者・源融や源高明、貴族として最高の地位に立った藤原道長の3人がいます。それぞれ大きな共通点がありますが、光源氏のモデルは誰か一人に限定されるものではなく、それぞれの特徴が取り入れられているとみるべきです。この3人以外を含めていろいろな貴族のエピソードが加味されているのです。
ただ、個人的には源高明が気になります。最高の官職に就きながらも右大臣家、左大臣家に気兼ねし、遠慮した光源氏は、藤原氏に対抗して失脚した源高明の姿の裏返しとも思えるのです。
【主な参考文献】
- 今泉忠義『新装版源氏物語 全現代語訳』(講談社学術文庫)
- 池田亀鑑、秋山虔校注『紫式部日記』(岩波文庫)
- 林望『源氏物語の楽しみかた』(祥伝社新書)
- 武石彰夫訳『今昔物語集本朝世俗篇 全現代語訳』(講談社学術文庫)
- 倉本一宏『公家源氏―王権を支えた名族』(中公新書)
※この掲載記事に関して、誤字脱字等の修正依頼、ご指摘などがありましたらこちらよりご連絡をお願いいたします。
コメント欄