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将棋の「振り駒」は江戸時代の血を吐く名勝負から生まれた
- 2023/09/29
将棋に「振り駒」というルールがあります。対局前に先手番と後手番を決める作業で、歩の駒5枚を手の中でよく振ってから投げ、表が多ければその人が先手番、裏が多ければ相手が先手番になるという仕組みです。現代の将棋においても戦型選択の主導権を握りやすい先手番が若干有利だと言われています。振り駒の結果は運任せですが、勝敗をも左右する重要な作業といえるでしょう。
その振り駒の起源とされるのが、初代伊藤宗看と檜垣是安との戦いです。時は承応元(1652)年。二世名人である大橋宗古に見込まれてその娘婿になった宗看は、幕府に庇護される将棋の御三家のひとつ伊藤家を興した歴史的な名棋士です。しかしそれを快く思わない在野の棋士たちもいて、しばしば手合わせを求められました。その中の1人が檜垣です。
檜垣は「雁木戦法」の考案者と言われています。この戦法は少し前まで現代では通用しない古典戦法として扱われていましたが、近年AIが高く評価したことで再流行しました。時代を超える戦法を編み出した檜垣も、独創性に満ちた大棋士だったと言えるでしょう。
宗看との戦いで檜垣は雁木戦法が生かせる平手(ハンデ無し)の対局を望みましたが、名人という権威を持つ宗古の鶴の一声で、雁木戦法を生かしにくい角落ちと香車落ちを交互に指すことになりました。角落ちならば檜垣が有利で、香車落ちならば宗看が有利とみられていました。地位と名誉を懸けた真剣勝負で、2人のこだわりは半端ではありません。最初の局を香車落ちと角落ちのどちらで行うかで揉めた結果、公平に決める方法として振り駒が採用されました。現在は歩の駒を5枚使って振り駒をしますが、当時は1枚の裏表だけで決めたとの説もあります。
振り駒の結果、まずは香車落ちで戦うことになり、檜垣が勝ちました。それより有利な角落ちも当然檜垣が勝つと思われましたが、やはり勝負は水もの。本領を発揮した宗看が見事に勝利して家元の強さを見せつけます。いわばアマ強豪に大駒のハンデを与えて勝ったプロ棋士といったところでしょうか。
この対局は決着までに161手もかかりました。一般的な対局の2倍くらいの手数で、さぞかし時間と体力を要したことでしょう。病弱な檜垣はこれがきっかけで胸の病気が悪化し、早世したと言われます。そんなエピソードから角落ちの本局は「吐血の一戦」として、長く愛棋家に語り継がれてきました。実はこの7年後に檜垣が指した棋譜が残っているので、そこまで壮絶な話ではなかったようすが・・・。
ともあれ、振り駒は古の勝負師たちの人生を懸けた戦いの産物。そう考えれば胸アツですよね。
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