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観光地・江ノ島にもある源氏ゆかりの神社とは?
- 2023/07/10
江ノ島と源頼朝
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、江ノ島があるまさにこの一帯(神奈川県藤沢市)を本拠地としていました。鎌倉幕府初期にはここに多くの神社が勧請されています。江島神社もそのひとつ。江ノ島は江戸時代にはすでに大人気の観光地として人気を集めていました。その中心が江島神社です。
今でこそ日帰りで訪問できますが、当時は泊りがけでないと行くことが出来なかった場所。わざわざ数日をかけて訪問する人気はどんなところにあったのでしょうか?まずは江島神社の成り立ちから調べていきます。
江島神社の成り立ち
寿永元年(1182)、源頼朝は文覚上人(もんがくしょうにん)という人物に琵琶湖にあった竹生島(ちくぶしま)の弁財天を江島神社に勧請させました。この頃はまだ鎌倉幕府を開いてはいない時代です。
その背景には奥州攻めを決意した源頼朝が、藤原秀衡調伏祈願のために勧請したという事情があります。源頼朝が起源の弁財天とあって、江島はその後も歴代の将軍や執権、そしてその後の時代の幕府からもあつい信仰を集めることになります。
今では陸続きの江ノ島
江ノ島は今では陸続き(橋でつながっています)ですが、昔は徒歩では渡れなかったという話があります。
『吾妻鏡』の中に、永仁4年(1296)に江ノ島が隆起し、徒歩で渡れるようになったという記述があるそうです。そして、日蓮宗の開祖、日蓮はここで奇跡を起こしたこともあるといい、江ノ島信仰がより深まったともいわれているそう。
江島詣りが大流行
江島は庶民にも大いに信仰されるようになりました。その原因の一つに、江戸時代を開いた徳川家康が江島を参拝したことも挙げられます。徳川家康は1600年に江ノ島を参拝し、その3年後に徳川幕府を開いています。もしかしたら御利益が凄いのかも?と言われていること、そして江戸から江ノ島までは数日で行くことが可能なため、古くから観光地として発展していったそうです。
現在の江ノ島は…
江島神社はいつも多くの人でにぎわっています。江島神社は高台にあるため、かなり階段を登らなければいけません。実際訪れるときには注意です!登りだけは「エスカー」というエスカレーターがあるので利用をおすすめします。順に参拝しながらまわっていって、最後に訪れるであろう場所が奥津宮。
かなり端にあり、途中には商店や飲食店があるので休憩しながらがおすすめです。
奥津宮の石鳥居は、頼朝が寄進したものだと言われています。一部補修されていますが、当時の貫禄や雰囲気が感じられる貴重な鳥居。階段が多くしんどいかもしれませんが、江ノ島を訪れたらぜひ最奥の奥津宮まで参拝してみることをおすすめします。
また、現在の弁財天は泰安殿(弁天堂)という場所に祀られています。江ノ島の起源に触れ、歴史を知りたいという方は、こちらの弁財天のお詣りもおすすめです。
観光ついでに歴史探索もおすすめ!
江ノ島についてお伝えしてきました。江ノ電があったり、SNS映えスポットとしても人気が出たり、ちょっとリゾートな雰囲気がある鎌倉や江ノ島。しかし実際に訪れてみると、実は深い歴史があったことも感じられます。色々な楽しみ方ができるので、ぜひ一度は訪れてみましょう。
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