お江戸の唐物屋は物見高い江戸っ子で今日も大賑わい!
- 2023/09/21
唐物
唐物とは本来なら中国産の物を言うわけですが、南蛮渡来の物も含めて輸入品の総称でもありました。奈良・平安のころ、渡来したこれらの文物に触れられるのは宮廷を中心としたほんの一部の貴族でした。『源氏物語』や『枕草子』にも「唐物ども」「唐の物ども」として登場し、11世紀半ばの『新猿楽記』には唐物として50種以上の品物が列挙されています。
室町時代になっても日明貿易に関わった足利将軍や有力社寺・貴族のものでしたが、贈答品に使われて市場に売り出されることもありました。幕府が弱体化し、暮らしに詰まる者が出てくると、これらの品物も多く市井に出回り、力を付けて来た戦国大名が買い漁ります。
この頃にも舶来品を売り買いする商売人はいましたが、泰平の世江戸時代になると、街中で唐物屋の看板を掲げた店が見られるようになります。
世界への窓口唐物屋
では江戸の唐物屋はどんな商品を扱ったのでしょうか。まず中国産の生糸・絹織物・漢方薬・陶器・呉竹・甘竹などの笛の材料、東南アジアからは胡椒・赤木・紫檀・香木・更紗・鮫皮・孔雀の羽、オランダ本国で織られた金糸銀糸入りの豪華な織物・白砂糖、他にも硝子製品に装飾品・書籍・時計・遠眼鏡・薬品・医療器具など、日本人の喜びそうな珍しいものは貪欲に買いまくります。その代償として日本からは海産物や金(小判)・銀・銅が流出し、幕府はこれら流出量の増大に頭を悩ませました。
しかしこれらの多くは庶民には手の届かない高価なものです。例えば、中国清王朝の乾隆帝時代に造られた大きな陶器の花瓶 “青花八角花瓶” です。現代なら9000万近い値が付くこともあるそうですが、唐物屋と言えば、中国の大きな花瓶が定番で店先に麗々しく飾られていました。
庶民にはとても買えませんが、物見高い江戸っ子は異国の香りに触れられる場として唐物屋に群がります。唐物屋は当時庶民が異国を垣間見られる唯一の場所だったのです。
大受けエレキテルのパフォーマンス
そんな珍品揃いの中でも特に人気を博したのが、オランダから来た“エレキテル”のパフォーマンスです。エレキテルとは木製の箱の中に摩擦を利用した静電気発生装置を組み込み、箱の外に取り付けたハンドルをグルグル回すと中のガラス円筒と金箔との間で摩擦が起こり、静電気が発生する仕掛けです。医療器具として輸入されたようですが、その方面の効果はありませんでした。
しかし蓄電した静電気を銅線で外部に導き、放電させるとバチッと火花が飛び、髪の毛が逆立ちと江戸っ子に大受けします。唐物屋はこれを店先に据えて客を呼び込みました。当初故障していたものを平賀源内が直したと伝わります。
絵や書物にも取り上げられる
唐物屋の賑わいは木版画の『摂津名所図会』にも描かれます。大坂伏見町にある疋田屋蝙蝠堂と言う唐物屋を描いたもので、店先には“異国新渡奇品珍物類”との看板を掛け、店の奥ではエレキテルの実演をし、ここでも冷やかし客が店を覗いています。 さらに画面右上には「ワコクニモ チンプンカンノミセアリテ カイテヲヒキダ モクゼンノカラ」つまり「和国にも ちんぷんかんぷんの店ありて 買い手を疋田 目前の空」と言うのですが、なんとこれがアルファベットで書かれています。カタカナでフリガナが振ってありますが、はたして一般の人は読めたのでしょうか? 少なくともこれを作った人間はアルファベットを理解していたようですが…。
井原西鶴の『日本永代蔵』では、京・大坂・堺の商人が長崎の入札市で金に糸目をつけず、唐織・糸・薬種・鮫皮・伽羅・ガラス製品などを買い漁る様が書かれています。唐物は買える時に取り敢えず買っておけば、年代を経るほど“昔渡り”とか“時代渡り”と呼ばれて価値が上がるものでした。また同じ『日本永代蔵』で商売で成功した男の「毛類は猩々緋の百間つづき、虎の皮千枚にても、黄羅紗・紫羅紗と整え」と唐物で飾り立てた成金ぶりを書いています。
阿蘭陀趣味の流行
時代が下がって来ると、唐物屋の流行の中心は、阿蘭陀(おらんだ)渡りの品になります。徳川吉宗の『漢訳洋書輸入の禁』の規制緩和以後は蘭学の興隆を見、阿蘭陀についての一般向けの書物も出版されるようになり、世界地図を載せた書物が何度も版を重ねます。幕府の奥医師らの話を元にした『紅毛雑話』には、バトミントンのシャトルやテニスのラケットの絵、顕微鏡で見た蚊やボウフラの絵も載せられます。
杉田玄白も『蘭学事始』の中で「世人何となくかの国渡りのものを奇珍とし、総てその舶来の珍器の類を好み」と言い、庶民の阿蘭陀趣味に言及しています。
またガラス細工もその透明な美しさが愛でられ、両国橋の辺りではギャマン細工の灯篭やビードロ細工のオランダ船の見世物まで出ます。これらの品も唐物屋が扱った物でした。ちなみにギャマンはオランダ語、ビードロはポルトガル語がなまったものと言います。
指を咥えてばかりじゃない、日本職人の技
舶来の珍奇な品を見ているばかりじゃないのが日本職人の優れた処ですね。インド更紗からはエキゾチックな風合いが喜ばれた江戸更紗が生まれます。インドでは手描きや木版での色付けですが、江戸では1ミリずれてもダメと言う型紙を、多い場合は100枚以上も使って染め上げます。 阿蘭陀渡りの硝子製品にもカット模様が施されていましたが、これを元にしたのが江戸切子です。そのシャープなカット技術は現在では世界最高峰とも言われます。
おわりに
江戸庶民に愛された唐物屋も、日本が開国して衣料・化粧品・食料品など実用の舶来品がどっと入って来るにつれ、それまでの趣味の店から普通の洋品店・食料品店に様変わりし、庶民の異国の窓口であったその役目を終えました。【主な参考文献】
- 河添房江『唐物の文化史』岩波書店/2014年
- 山本真紗子『唐物屋から美術商へ』晃洋書房/2010年
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