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歴史ある須磨寺に残る『源氏物語』の伝説をたどる

 須磨寺(すまでら)は1100年の歴史を誇る古刹。実は「源氏物語」とも深く関わりのある寺としても有名です。今回は境内に残る史跡やエピソードを中心にお伝えしていきます。

光源氏が追放され過ごした須磨

 源氏物語は誰もが知る紫式部の名作。長いエピソードがありますが、その中で主人公である光源氏の大きな転機となったのが、「須磨」そして「明石」の巻だと言われています。

「須磨」

 では、京から追放されそうになった源氏が自ら須磨へ退去し、孤独な日々を過ごす様子が描かれています。ここではじめて海や自然に触れ、秋や冬の寂しい風の中ひとりで侘しい生活をおくる源氏の姿が描かれています。そして春には桜を植え、都を思い出す…という、源氏物語の中でも地味で寂しいイメージの強い巻です。

「明石」

 須磨で過ごした後、源氏は明石入道と出会い舞台は明石に。そこで明石の君と出会い、数年後また都へ戻ることとなるのです。

光源氏のモデル・在原行平

 実は紫式部は「源氏物語」の中でも「須磨」「明石」から書き始めたという話もあるというほど、思い入れのあるのがこの巻だと言われています。

 源氏物語の主人公・光源氏のモデルになったのが歌人として知られる在原業平の兄弟で貴族・歌人であった在原行平です。

 理由は明らかになっていませんが、在原行平は何らかの罪で須磨に流されたと言われています。一説では在原行平はたいそうなプレイボーイで、他の貴族からの嫉妬もあったのだとか。もし真実だとしたら源氏物語そっくりのエピソードですよね。

 在原行平は須磨滞在時に、海辺で過ごしていたときに浜辺に流れ着いた木片と絹糸から一絃琴を造り、寂しさを紛らわすために奏でていたのだとか。この一絃琴は須磨琴といわれ、今でもその音色が守られています。

 また行平は須磨で「もしほ」と「こふじ」という海女の姉妹と出会い、二人を「松風」・「村雨」と名付けて寵愛したといいます。都へ戻ることになった行平は、その姉妹に形見として身につけていた烏帽子と狩衣を残したのだとか。行平が須磨を去った後、姉妹は尼となりましたが最後まで行平を慕い待ち続けたといいます。

 このエピソードも、源氏物語の「須磨」「明石」の元となった話です。

須磨寺と源氏物語

 創建は仁和2年(886)とされる須磨寺。正式には上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)といわれ、真言宗須磨寺派の本山です。

若木の桜

 須磨寺には本堂前石段の下・源平の庭の近くに「若木の桜」と伝えられる桜の木があります。これは光源氏が都と都に置いてきた紫の上を思い植えたと伝えられるもの。後に弁慶がこれに制札を立てて「一枝を伐らば、一指を剪るべし」と言ったのだとか。

 在原行平は須磨に蟄居していたので須磨寺ともゆかりのある人物。この時代から須磨と源氏物語は深くつながっていて、ひとつの観光名所であったのかもしれませんね。境内にはたくさんの桜があり、桜の名所となっています。

一絃琴(須磨琴)

 須磨寺には最古の一絃琴といわれる品が今も残っています。宝物館で無料で見学することも可能です。

 現在は須磨寺が中心となり一絃琴(須磨琴)の保存活動を行っており、実際に演奏体験やお稽古もしているそう。中には在原行平がひとり須磨の海岸で切なく過ごした様子を楽曲に表した「須磨」という名曲もあり、もし興味のある方は一絃琴を聴きに、または体験しに行ってみてはいかがでしょうか。

平安の趣が残る須磨寺

 現在でこそ兵庫の中心地・三宮から15分ほどで到着できる須磨ですが、かつては都からはるか離れた土地。光源氏は、または在原行平はここ・須磨でどのような思いで暮らしたのでしょうか。須磨寺を訪れて思いを馳せながら観光するのも良いかもしれません。

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  この記事を書いた人
ゆかた さん

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