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【最古の窯跡群】大阪府堺市陶邑窯跡群をご紹介!~大庭寺遺跡出土資料を中心に~
- 2022/06/13
はじめに
大阪府堺市陶邑窯跡群とは古墳時代から平安時代まで須恵器を中心とた土器づくりの中心生産地であり、ここから大量に出土した須恵器は、形や特徴の違いから、時代を特定することができる「ものさし」として学術的に利用され、調査・研究がかなり進んでいます。今回は、陶邑窯跡群のひとつである大庭寺遺跡から出土した須恵器を、大阪府立近つ飛鳥博物館で見学するチャンスがあったため、大庭寺遺跡の須恵器を中心として陶邑窯跡群を紹介します!
須恵器が生まれる土地ってどんな土地?
大阪府南部の堺市から和泉市、狭山市、岸和田市の一帯に泉北丘陵が広がっており、ここに須恵器古窯跡群(陶邑窯跡群)が位置しています。この窯跡は「茅渟縣陶邑(ちぬのあがたすえむら)」と古来から伝えられており、『日本書紀 祟神天皇条』で、はじめてその名が確認されます。地形としては起伏の多い丘陵と河川によって形成されており、谷筋の丘陵斜面に窯跡群が大きく分けて7つの地域に分布している状態です。その7つの分類というのが、
①狭山池にそそぐ天野川、石津川の支流に挟まれた陶器山地区(MT)
②前田川と石津川に挟まれた高蔵寺地区(TK)
③石津川と妙見川挟まれた富蔵地区(TM)
④石津川と和田川に挟まれた栂地区(TG)
⑤和田川と甲斐川に挟まれた光明池地区(KM)
⑥和田川と槇尾川に挟まれた大野池地区(ON)
⑦槇尾川と松尾川に挟まれた谷山池地区(TM)
です。アルファベットは遺跡名の略称であり、学術用語として多く利用されています。
今回見学した須恵器の出土遺跡のひとつである大庭寺遺跡は、これらの地域の内、④の栂地区を包括している遺跡で、窯跡は33確認されています。尾根部分の比高差が大きく、尾根裾部幅が狭いため、丘陵の地形としては険しさが感じられます。
見学した須恵器が出土した遺跡
▶大庭寺遺跡TG231・232号窯跡
1990~1991年の調査で、最も古い段階の窯だと考えられていた、TK23号窯よりも古いことが判明しました。出土した須恵器の特徴としては、韓国の陶質土器と類似していることが挙げられます(写真1)。
※(写真1)大庭寺遺跡出土の須恵器
▶野々井西遺跡 ON231号窯跡
1991年の調査により、大庭寺遺跡の窯跡と同じくらい古い窯であることが判明しました。灰原(窯の中から出された灰や焼き損じの土器を捨てた場所)の分析により、4世紀末から5世紀前半に稼働していたことが分かっています(写真2)。
※(写真2)野々井西遺跡出土の須恵器
▶濁り池窯跡
1962年の調査により、窯跡が良好な状態で発見されました。出土した須恵器は大庭寺遺跡跡のものに次ぐ古さを誇っています(写真3)。
※(写真3)濁り池窯跡出土の須恵器
▶一須賀2号窯
大阪府一須賀古墳群で確認された5基の窯の内のひとつです。発見された須恵器には、韓国の陶質土器に見られる同心円状の文様があることが確認されています。
▶上町谷1・2号窯跡
大阪の上町台地北部で確認された2基の窯跡です。韓国の陶質土器に類似し、日本の須恵器生産において初期に作られたであろう須恵器が発見されています。
おわりに
以上のように大庭寺遺跡の須恵器を中心として陶邑窯跡群から見つかった窯跡や須恵器を紹介しました。大阪府立近つ飛鳥博物館では、2022年7月3日まで、春季特別展として「茅渟縣陶邑と須恵器生産のはじまり」が開催されており、ここで多くの須恵器の見学ができます。
今回須恵器に興味の持った方は、この機会に是非、春季特別展に足を運んでみてはいかがでしょうか!
★参考文献
大阪府文化財調査研究センター 1996 『陶邑・大庭寺遺跡V』(財)大阪府文化財調査研究センター調査報告書10
大阪府教育委員会 1980 『陶邑V』大阪府文化財調査報告書33
大阪府立近つ飛鳥博物館2022 「茅渟縣陶邑と須恵器生産のはじまり」リーフレット
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