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【やさしい歴史用語解説】「古墳」

わが国では3世紀後半から7世紀末までの400年間、土を高く盛り上げた墳丘をもつ墓がたくさん造られました。これを「古墳(こふん)」といい、古墳が多く出現した時期のことを「古墳時代」と呼んでいます。

古墳といっても一般民衆のものではありません。あくまで階層の高い人のために造られたものでした。

古墳には様々な大きさや形があり、より大きくて技巧を凝らしたものは、被葬者の身分が高かったことを表しています。例えば墳丘の斜面に葺石が敷きつめられていたり、墳丘が2~3段になっているものや、周囲を取り巻く濠が2重~3重になっているものもあります。

こうした古墳ができた背景には、水田耕作を生業とする村落が成立し、それらが統合されて「クニ」として成り立ち、やがて国家として成長していった過程にあるようです。

弥生時代の中期に首長たちが小規模の墳墓を造るようになり、やがて各地で特徴ある墳丘を持つ墳墓が造営されていきました。時代を経ていくと、地域にかかわらず画一的な古墳が造営されるようになります。

有力者たちの古墳を見ていくと、たいへん豪華な副葬品が見られるそうです。初期の古墳から出てくる副葬品は、勾玉や銅鏡といった祭祀品が中心ですが、時代が下ると鉄製武器や甲冑などの武具が多くなってきます。これは有力者が祭祀的存在から、武力を伴う支配者的な位置づけに変化したことを示しています。

さて、古墳の種類はバリエーションに富んでいて、見学者の目を飽きさせません。上から見ると正円形をした「円墳」がもっとも数が多く、各時代・各地域で最も普通に見かける古墳です。

最大の円墳とされていた丸墓山古墳(wikipediaより)
最大の円墳とされていた丸墓山古墳(wikipediaより)

そして四角い形をしている「方墳」は大陸や朝鮮半島の影響を受けているとされ、出雲地方でたくさん見受けられます。

そして古墳といえば「前方後円墳」は外せません。上から見ると円墳と方墳を重ねたような形をしていて、ちょうど鍵穴のように見えるのが特徴です。他にも「帆立貝形古墳」や「双円墳」などの種類がありますから、調べてみると面白いかも知れません。

とはいえ大型の古墳になればなるほど全体の形は掴みづらく、どうしても横から見る感じになるので、ただの森にしか見えないというケースもあります。事前に古墳の形をしっかり確認しておきたいものです。

※古墳には様々な形がある
※古墳には様々な形がある

ところで一般の古墳とは別に「陵墓」があるのをご存じでしょうか?

歴代天皇などの墓として、宮内庁が管理する古墳のことです。そこは立ち入りが許可されていない聖域だとされていて、全国には896もの陵墓があるそうです。ちなみに大阪府堺市の大仙古墳群、奈良県天理市の渋谷向山古墳をはじめ、巨大古墳の多くが陵墓となっています。

陵墓に一般の方の立ち入りはできませんが、まれに整備工事に伴う学術調査などで成果が公表されますし、出土品の貸し出しも行われるそうなので、考古学が好きな方なら良い機会になるかも知れません。

また新しく古墳が見つかるケースも多いですから、地域史を明らかにするうえでも重要な史料だと言えるでしょう。

横から見ると森にしか見えない?大仙陵古墳(wikipediaより)
横から見ると森にしか見えない?大仙陵古墳(wikipediaより)
築造当時の様子を復元した五色塚古墳(wikipediaより)
築造当時の様子を復元した五色塚古墳(wikipediaより)

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  この記事を書いた人
明石則実 さん
幼い頃からお城の絵ばかり描いていたという戦国好き・お城好きな歴史ライター。web記事の他にyoutube歴史動画のシナリオを書いたりなど、幅広く活動中。 愛犬と城郭や史跡を巡ったり、気の合う仲間たちとお城めぐりをしながら、「あーだこーだ」と議論することが好き。 座右の銘は「明日は明日の風が吹く」 ...

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