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【やさしい歴史用語解説】「詔勅(しょうちょく)」
- 2022/10/03
歴史用語でややこしい言葉はたくさんありますが、とりわけ難解なのが天皇や朝廷に関わるものです。例えば天皇の命令を伝える文書にしても多くの種類があり、時と場合によって使い分けされていました。
このような命令文書を「詔勅(しょうちょく)」と呼ぶのですが、どんな場合、どんなふうに出されたのかを解説していきましょう。
このような命令文書を「詔勅(しょうちょく)」と呼ぶのですが、どんな場合、どんなふうに出されたのかを解説していきましょう。
詔書(しょうしょ)、勅旨(ちょくし)
まず同じ詔勅でも2つの形態が存在します。詔書
これは天皇からの命令を公文書にしたもので、国の大事の際に広く公示されました。古くは和文体で「宣命(せんみょう)」と呼ばれていましたが、平安時代になると漢文体で書かれるようになりました。勅旨
天皇から出される命令を公文書化したものですが、広く公示されることはなく、あくまで天皇の私的命令や特定人物に対するものとして出されました。例えば織田信長の圧迫を受けた大坂本願寺が紀州へ退転する際、天皇の命令として勅旨が出されています。宣旨(せんじ)、綸旨(りんじ)
平安時代まで格式ばった詔勅が多かったのですが、平安時代中期になると政治機構が複雑化したこともあり、詔勅は簡略化される傾向となります。それが「宣旨」や「綸旨」といったものでした。宣旨
天皇が命令や意向を文書化する時、「詔書」や「勅旨」を出すには形式が厳密に定められていました。そこで簡略化を図るため、弁官局の役人が聞いた内容をメモに取り、それをそのまま公文書として発給しました。そうすることで柔軟な発給が可能となりました。しかし出しやすい反面、デメリットもあったようで、幕末にはしばしば孝明天皇の偽勅が出され、政治が大きく混乱する原因となりました。
綸旨
「綸旨」は発給方法が「宣旨」よりも簡単です。「綸旨」というだけあって臨時に出されることが多く、天皇からの意向を蔵人所(くろうどどころ)の役人がササっと書いて発給していました。公的というより、どちらかと私的な部分が多い文書だったようです。ちなみに建武の新政では偽綸旨が多発したこともあり、大きく政治が乱れる要因となりました。
令旨
これは天皇ではなく、皇太子や皇太后、あるいは皇后からの命令を伝える公文書です。平家追討を命令した「以仁王の令旨」が有名ですが、そもそも以仁王は皇太子ではないため、本来なら発給できる立場ではありませんでした。勅令(ちょくれい)、勅命(ちょくめい)
明治時代になると大日本帝国憲法が公布されましたが、あくまで天皇主権の憲法です。もちろん天皇からの命令や意向を伝える公文書が存在していました。勅令
これは天皇からの命令や意向を、議会の承認なしで制定できるものです。一般的な法律を超えるものとされ、天皇大権に基づいていました。例えば関東大震災で出された緊急勅許(金融の一時的な猶予)や、ポツダム宣言受諾の際に出されたポツダム緊急勅令などが知られています。勅命
「勅令」の形式を取らず、天皇自らが国家機関に命令を下すものです。例えば文化的素養があった明治天皇は、勅命をもって蹴鞠の保存を命じていますし、日露戦争で活躍した乃木希典を学習院大学の学長にしたのも勅命によるものです。また大日本帝国憲法の一部改正など公的な措置も、天皇の勅命によって行われることがありました。
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