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【大阪、幻の古都】難波宮をご紹介
- 2022/04/04
皆さんは「古都」と聞いてどこを思い浮かべますか?
中学生、高校生の日本史の従業で有名な語呂合わせである、「なんと(710)立派な平城京」や「鳴くよ(794)うぐいす平安京」から、奈良県や京都府を思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし、大阪にも「難波宮(なにわみや)」という古都が存在しています。
この記事では難波宮が持つ歴史等をご紹介します!
● 難波宮とは?
難波宮は大阪府大阪市中央区法円坂1丁目に所在している、都城の遺跡です。現在は公園として整備されています。
飛鳥時代の難波宮に建てられた八角殿【写真1】や、奈良時代に建てられた難波宮大極殿(天皇の政治や国家的な儀礼を行う場)の基壇(その上に建物を建てるために築いた土盛りや石組)【写真2】が復元した姿を見ることができます。
【写真1】難波宮の八角殿(右下)
【写真2】難波宮大極殿の基壇
● 2つの難波宮
八角殿や大極殿の違いから分かるように難波宮は飛鳥時代の「前期難波宮」と、奈良時代の「後期難波宮」があります。
「前期難波宮」は大化元年(645)に孝徳天皇が難波の地に遷都した時に造られ、白雉3年(652)に完成した都です。「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」とも呼びます。天武天皇12年(683)に副都となりましたが、朱鳥元年(686)の火災で焼けて無くなりました。都内の配置としては、北に内裏、南に朝堂院を軸線上に一直線に並べた珍しいものとなっています。
「後期難波宮」は聖武天皇が印南野行幸から難波に回ってきて、神亀3年(726)に藤原宇合を知造難波宮事に任じた時に造られました。「前期難波宮」と同じく内裏と朝堂院を中心とする都城であり、復元されている大極殿の基壇は凝灰岩でできています。また、都城の跡地からは、三重の円が模様として描かれている、重圏文軒丸瓦が発見されています。
● 難波宮を歩く
現在の難波宮は公園として整備されており、復元された八角殿や基壇から当時の都をイメージすることができます。
また、近くには大阪歴史博物館があり、難波宮を始めとした大阪の歴史を詳しくかつ、楽しく学ぶことができます。
大阪の歴史や考古学に興味のある人には是非行ってみてほしい場所です。
★ 参考文献
栄原永遠男2020「後期難波宮の内実」『大阪歴史博物館研究紀要』第18号pp1-18
奈良県立橿原考古学研究所2018『奈良県立橿原考古学研究所紀要考古学論攷』第 41 冊
村元健一2015「前期難波宮の南方空間」『大阪歴史博物館研究紀要』第13号pp11-24
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