吉田兼見が日記を書き換える原因となった事件は?

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神官の吉田兼見は長年にわたり、日記『兼見卿記』を書いていました。しかし、とある事件の関与を疑われた彼は日記を1年分まるごと書き換えています。その事件とは次のうちどれでしょう?

( 正解率は 56 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「1582年 本能寺の変」

  回答内訳

120人 が回答済です

1565年 永禄の変(30回答)
25%
1582年 本能寺の変(68回答)
56%
1583年 賤ヶ岳の戦い(12回答)
10%
1600年 関ヶ原の戦い(10回答)
8%

※未回答での閲覧回数は 15回

 解説

吉田兼見は明智光秀と親しい関係でした。本能寺の変が起こった後も、朝廷の使者として光秀の陣を訪ねたり、光秀から金子を受け取ったりしています。しかし光秀が敗死した後、勝利した羽柴秀吉側から、変への関与を疑われ、証拠となりかねない日記をまるごと書き換えています。

そのため、現在でも『兼見卿記』の天正10年分は、もともと書いていた分と書き換えた分の2冊が伝わっているのです。


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