現存する「二条城」って誰の城だった?

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足利義昭の居城として、信長が築城した二条城。本能寺の変の際、織田信忠が立てこもった二条城。徳川幕府の拠点となった二条城。さて、現存している二条城は、どの二条城でしょうか? ( 正解率は 66 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「徳川の二条城」

  回答内訳

396人 が回答済です

足利の二条城(58回答)
14%
織田の二条城(26回答)
6%
徳川の二条城(263回答)
66%
まったく関係ない他の二条城(49回答)
12%

※未回答での閲覧回数は 84回

 解説

問題文に上げた3つの二条城はすべて異なる城です。

足利義昭の居城とすべく、織田信長が築いた二条城は、永禄12年(1569)に作られました。「二条御所」とも呼ばれる場所で、京都御所に隣接するように在りました。義昭が京から追放された後、天正4年(1576)に取り壊されています。

天正10年(1582)の本能寺の変の際、信長の息子である織田信忠が籠城した二条城は、「二条新造御所」や「二条殿」とも呼ばれています。足利の二条城より南の、現在の京都国際マンガミュージアムの辺りにありました。二条御所に変わる新たな拠点として作られましたが、本能寺の変で信忠が自刃した際に焼失しました。

そして、徳川家康が慶長8年(1603)に築き、15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行なった二条城は、世界遺産として現代まで残されています。

ちなみに、豊臣秀吉も聚楽第の完成を待つ間の政庁として、二条通に妙顕寺城(みょうけんじじょう)を築いていました。京都の二条は、上京と下京の境目にあり、京都御所からも近かったことから、政治の要となる城を築くのに適していたようです。


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