秀吉「幻の城」発見!徳川家康が築城した駿府城跡から
- 2018/10/20
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【投稿】戦ヒス編集部
2018年10月19日、静岡市は駿府城の天守台跡から豊臣秀吉が築いた城跡を発見しました。秀吉が築いた聚楽第と酷似した金箔瓦およそ330枚と天守台が出土し、この度秀吉が築かせた跡と確認されました。
近世城郭としての駿府城が築城されたのは天正13(1585)年のこと。このとき初めて天守が築造されたといわれています。
しかし、築城した家康は豊臣政権によって関東へ移封され、家康は江戸に移ることになりました。そのあと駿府城に入ったのは秀吉の家臣の中村一氏でした。
家康の居城であった駿府城に秀吉が豪華絢爛な天守を築いたことは、江戸にいる家康への威嚇であった可能性も考えられています。当時の秀吉と家康の関係性を知る手がかりとなる史料として注目されています。
専門家のコメントは以下の通りです。
中井 均(なかい ひとし) 滋賀県立大学教授
専門:考古学(中近世城館遺跡)
「今回駿府城の天守台内部から検出されたもうひとつの天守台石垣は自然石を積む野面積みであり、さらに出土した大量の金箔瓦の造瓦技術が豊臣期の特徴を示していることより、天正18年(1590)に豊臣秀吉によって駿府に入れ置かれた中村一氏が秀吉の支援を受けて築いたものであることは間違いない。関東に移された徳川家康に対して金箔瓦に飾られた天守の造営は豊臣政権の威光を示すシンボルであったと考えられる。
今ひとつ重要なことは徳川家康が駿府城を改修するにあたってこの中村天守を封印して、その上に自らの天守を構えたことも今回の調査で明らかとなった。その天守台が検出されたことは画期的な調査成果である。駿府城は徳川家康の城だけではなく、豊臣政権にとっても重要な城であったことがこの天守台の検出によって明らかとなった。」
小和田 哲男(おわだ てつお) 静岡大学名誉教授/公益財団法人日本城郭協会理事長
専門:日本中世史、戦国時代史
「天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めのあと、徳川家康が駿府城から江戸城に移され、駿府城には秀吉の家臣中村一氏が入ってきた。しかし、これまで中村一氏時代の駿府城については書かれたものもなく、遺構もなく、幻の城とされていた。今回の発掘調査によって天守台が姿をあらわしたことの意義は大きい。駿府城というと、どうしても慶長12年(1607)からの大御所家康の駿府城が地表面に残っているため、それだけに目がいく傾向があるが、その下に豊臣政権下の中村一氏の駿府城があったことがわかったわけで、これは大発見である。さらにその下に天正13年(1585)着工の、家康による5ヵ国時代の駿府城が埋まっている可能性も出てきた。今後に期待したい。」
〈駿府城跡天守台発掘調査概要〉
◆調査期間 2020年2月末まで
◆住 所 静岡市葵区駿府城公園1-1 駿府城公園内 天守台発掘調査現場
◆アクセス JR静岡駅から徒歩約15分、静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分
◆参考URL http://www.city.shizuoka.jp/000_002441.html (発掘調査について)
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/castle/ (駿府城について)
◆問い合わせ 静岡市歴史文化課 TEL:054-221-1085
▼外部リンク
徳川家康の駿府城跡に豊臣秀吉の“幻の城”発見
https://kyodonewsprwire.jp/release/201810199359