豊臣秀吉の逸話残る、藤堂家旧蔵《金茶道具一式》、白熱の競り、廣澤美術館(茨城県)が3億円で落札

Shinwa Wise Holdings 株式会社 (本社:中央区銀座 代表取締役 倉田陽一郎)の100%子会社である Shinwa Auction株式会社(本社:中央区銀座 代表取締役 倉田陽一郎)は、2023年5月27日(土)に東京・丸の内、丸ビルホールにて特別オークションを開催。
注目のロットであった、伯爵藤堂高紹(とうどうたかつぐ)旧蔵、《金茶道具一式》が3億円で落札されました。

■開催情報
オークション開催日時:2023年5月27日(土)14:00開始
オークション会場:丸ビルホール(〒100-6307 東京都千代田区丸の内2-4-1丸ビル 7F)

下見会開催日時:2023年5月24日(水)~26日(金)10:00~18:00(最終日のみ 10:00~17:00)
下見会会場:Shinwa Auction株式会社
(〒104-0061 東京都中央区銀座7-4-12銀座メディカルビル 1F・2F・B1F)

【落札者情報】
この度の落札に関しては、落札者の廣澤美術館が落札者であることを公表したため、落札者の情報を提供しています。

廣澤美術館
 〒308-0811 茨城県筑西市 ザ・ヒロサワ・シティ
 TEL 0296-21-1234 FAX 0296-24-7837
 開館時間 10:00~16:30(入館は16:00まで)
 休館日 月曜日


LOT.1007(予定) 金茶道具一式

茶碗:H6.8×D12.0cm
天目台:H7.6×D15.8cm
茶入:H6.2×D5.9cm
釜:H22.2×D20.8cm
風炉:H23.3×W39.4cm
釜鐶:各D7.7cm
杓立:H22.4×D12.0cm
火箸:28.8cm
建水:H10.0×D17.2cm
蓋置:H5.1×D7.1cm

藤堂家旧蔵
「日本名寶展覽會」1929年(東京府美術館/読売新聞社)出品
エスティメイト ¥150,000,000.~¥300,000,000.
落札価額(ハンマープライス) ¥300,000,000.

1929(昭和4)年3月、東京・上野の東京府美術館において、閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう  1865-1945)を総裁とし、読売新聞社が主催する美術展覧会「日本名寶展覽會」が開催された。この展覧会は、国宝や重要文化財、皇室の御物とともに、華族などの格式の高い名家に伝来し、門外不出とされてきた美術品の数々が一堂に会し、大きな話題となった。その優れた名宝の中でも、一ヶ月間ほどの会期中に最も来場者の注目を集めたと言われる出品作品の一つが、眩いばかりの黄金色に輝く金の茶道具一式であった。当時、この茶道具は伯爵藤堂高紹(とうどうたかつぐ 1884-1943)の所蔵品であり、藤堂家の当主でさえも年に一度しか目にすることのできない秘蔵の家宝であったという註1)。藤堂家は、室町時代に近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町)とその周辺の地域を治め、藤堂姓を名乗った三河守藤原景盛(生没年不詳)を始祖とし、江戸時代には藤堂高虎(1556-1630)が伊勢国津藩(現在の三重県津市)初代藩主となり、明治時代に伯爵に叙任された家柄である。金の茶道具はこの藤堂家に代々伝わり、「日本名寶展覽會」で広く世に知られて脚光を浴びた重宝であるが、第二次世界大戦中の金属類回収令を受けて供出され、日本銀行の買い取りとなった。しかし幸運にも、茶道具は武器製造の資源として使用されず、終戦後も日本銀行に残されていたため、1960年に売り戻され、再び藤堂家の所蔵となったのである。

※金茶道具一式について
このたびのオークションには、由緒正しくも数奇な運命を辿ったこの金の茶道具一式が出品される。いつの時代に、誰が、誰のために制作したものであるのかは詳らかではないが、拙稿では現存する作品の特徴や作風を概観したい。

Lot.1007(予定)《金茶道具一式》は、茶碗、天目台、茶入、釜と付属する釜鐶、風炉、蓋置、建水、杓立、火箸からなる。同じ材質や色味で揃えられた茶道具一式を皆具(かいぐ)と称することから、本作も当初は皆具として作られたものと考えられるが、本作には水指が備わっていない。1929年の「日本名寶展覽會」の出品作品の写真(参考図版)にも水指は写っていないため、それ以前に失われたのであろうか。また、同展出品の際は《金臺子(だいす)茶道具》という作品名であり、台子(だいす)という点茶用の棚に茶道具一式が飾り置かれ、「台子皆具」という書院造りの広間で行う書院の茶の正式な形式で展示されたが、それが元々添うものであったかは不明であり、現在本作には付属していない。

そもそも台子皆具とは、鎌倉時代に臨済宗の僧、南浦紹明(なんぽじょうみょう 1235-1309)が中国から招来し、同じく臨済宗の夢想礎石(むそうそせき 1275-1351)が点茶に使用したことを機に、室町時代に武家社会に普及した茶道具である。茶の湯と政治が強く結びついた豊臣秀吉(1537-1598)の治世には、秀吉の許可の下に台子の茶式が伝えられるようになり、江戸時代にかけて武家の威信を示し、茶の湯の奥義を伝える格式の高い道具となっていった註2)。その中でも、本作のような金製の茶道具は最上級とされ、室町幕府六代将軍足利義教(1394-1441)が初めて使用し、その後は秀吉が黄金の茶室などのために好んで作らせ、徳川家康(1542-1616)も皆具を所持するなど、天下人やごく一部の有力大名の権威を象徴するものであった。なお、戦時中に日本銀行が本作を買い取った際に行った金の品位測定によると、本作はおおよそ金80~88%、銀12~20%などの合金で制作されている。

また、本作は台子皆具の中で最も格の高い道具として珍重された唐物写しで構成されており、主な作品を見てみると、茶碗は安土桃山時代の茶人たちに好まれた天目茶碗である。胴にはあたかも陶器のように釉の流れる景色が表現されており、秀吉から醍醐寺へ贈られたという同寺院所蔵の《金天目》や江戸幕府三代将軍徳川家光の娘の婚礼調度として作られ、現在は徳川美術館が所蔵する「純金台子皆具」(重要文化財)の《葵紋蜀江文天目茶碗》など、現存する安土桃山から江戸前期の金製の天目茶碗との共通点が見て取れる。また、天目茶碗をのせる天目台には、長寿を意味する工字繋ぎ文様が細やかに装飾されている。

茶入は、腰がふっくらと丸みを帯びた茄子形であり、裾には茶碗同様に陶器のような釉なだれ、そして底には糸切りを模した渦巻状の模様が表されている。茶入の蓋はこの一式の中では唯一、ほぼ銀製となっている。

釜は肩が張り胴が高く、鐶付が瑞獣の形をなした真形(しんなり)の堂々たる作であり、釜鐶が付属する。胴には同じく吉祥文様である麻の葉文様、蜀江文様、工字繋ぎ文様、雷文様が表され、華やかな雰囲気が漂う。蓋の摘
(つまみ)に施された意匠は梅であろう。そして、釜をのせる風炉は、しばしば台子の風炉として用いられる鬼面風炉であり、充実した胴の膨らみと太い乳足(ちあし)が重厚感と迫力を感じさせる。釜と同様に、胴には蜀江文様と工字繋ぎ文様などが表されている。建水は上部が袋のように開いた餌畚形(えふごがた)であり、胴には工字繋ぎ文様が描かれるほか、中国の青銅器の影響をうかがわせる装飾が施されている。また、杓立にも同様の文様が端正に描かれている。

全体として、黄金色の輝きが湛える豪奢さや優雅さとともに、唐物写し独特の気品と荘重な趣の漂う道具であり、また、一つ一つの造形のみならず、施された文様も非常に精緻で優美である。作品の随所に作者の高度な技術をうかがわせ、このような大量の金を使用し、優れた腕を持つ者に制作を依頼することのできる注文主の財力と政治力を想像させる。大名家に伝来した古格ある金の茶道具は、先に挙げた徳川美術館蔵の「純金台子皆具」が現存する皆具として重要文化財に指定されているが、本作はもう一つのきわめて希少で重要な作品と言えよう。

なお、本作には津藩初代藩主藤堂高虎にまつわる興味深い逸話が残されている。その一つを紹介すると、秀吉が明(中国)征服を目論み、朝鮮半島に進軍した文禄・慶長の役(1592-1593、1597-1598)に出征した高虎は、船奉行として水軍を率いて活躍した。秀吉はその敢闘を称え、高虎の出家を引き留めて伊予国板島(現在の愛媛県宇和島市)七万石の大名に取り立て、その後も一万石を加増するなど、ひときわ厚遇したという。さらに、褒美の一つとして、自らが黄金の茶室で愛用していた金の茶道具を授けたとも言われている。朝鮮出兵から400年以上が経過した現在、真相は誰にもわからないが、藤堂家に代々伝わる本作のみが歴史の真実を知るのであろう。

註1)読売新聞社『日本名寶物語』誠文堂 1929年
註2)『黄金時代の茶道具』大阪市立東洋陶磁美術館 2015年

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